父の「寂しい」という言葉で揺れ動く自分はいたが、結局は元々の考えを覆すほどの理由にはならなかった。父に告げると、父は電話の向こうで優しくうなずいた。

「いいよ。好きなほうにしなさい。自分で考えて決めたなら、それでいい」

 心から自分に寄り添ってくれた声だった。保守的で、世間体を気にする父のことだから、きっと周囲には「息子が名字を変えた」とは言いづらいだろう。それでも「いいよ」と優しく背中を押してくれた。父の気持ちを思うと、涙があふれた。晴れやかで嬉しいはずの結婚なのに、なぜこんな思いをしなければならないのかと思った。

 その日から、もうすぐ4年が経とうとしている。その間、いろんなことがあった。婚姻届を出した後に、父が末期がんであることを知り、結婚から1年後にこの世を去った。

 父は末期がんであることを家族に隠していた。名字について迷っていたとき、父から末期がんであることを告げられ、「名字を変えないでほしい」と言われたら、「おそらく名字を変えてなかったと思う」(基弘さん)。それでも父がそうしなかったのは、やはり息子の考えを尊重してくれたのかなと感じている。

 強烈だったのが、久しぶりに顔を合わせた前の会社の元上司から、

「自分の名字、捨てちゃったんだ」

 と言われたこと。「捨てた」という言葉で傷つきはしなかったが、父からの「周りがいろいろ邪推する」という言葉の意味が分かったような気がした。その場は笑顔で流したが、どこか嫌な後味が残った。

 さらに「婿入りしたんだ」「婿養子に入ったの?」——思った以上に投げかけられることが多い言葉で、言われるたびに「またきたか……」と、うんざりしてしまう言葉だ。結婚し、妻の姓に変えた男性を、「婿養子に入った」と同義で捉える人は「想像以上に多い」(基弘さん)。

 婿養子とは、夫が妻の親と養子縁組し、妻と結婚して妻の氏になることを指す。妻の氏を名乗る男性は、一般的に「婿」と呼ばれるが、「お婿さん」という言葉は、妻の氏を名乗らずとも幅広く使用されているケースが多い。婿の言葉の意味が曖昧になっているのと同様に、妻の氏を名乗る男性=婿養子と混同する人が多いのかもしれない。

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妻の名字にした経緯については適当にやり過ごす