北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

 上田が男たちから得たのは1000万円ほどだといわれているが、実際にはわからない。全て現金で取引していたからだ。そもそも銀行口座がなかったのかもしれない。携帯電話はプリペイドだった。自動車免許を取得したことはないが、運転はしていた。まるで公的な手続きをあえて避けて生きてきたようだった。上田が暮らしていたくみ取り式トイレのアパートに入った記者によれば、足の踏み場もない部屋の奥に、食べ終えたままの鍋が、まるでその周りに人が囲んでいるのが見えるような感じで残っていたという。ゴミの山には、料理がこびりついたフライパンやお皿もあった。何かが決定的に壊れているが、壊れたままに次の問題が積み重なっていく。それが、上田の日常だった。

「なぜ福祉を頼らないのか」「なぜ行政に相談しないのか」……そのような疑問は挙げるのはたやすいが、社会から排除され続けてきた者たちにとって、誰かに相談する、公的な機関に出向く、ということは最もハードルが高いことだ。そもそも社会を信頼できず、自分より「ちゃんとしている」人たちに相談したら「怒られる」「説教される」と最初から萎縮してしまっている。実際、相談にきた人を説教する相談員も少なくない。誰にも相談せず、社会を頼る気すらなく、私が取材する限りママ友の一人もいない状況で10代から子育てに追われ続けた上田が、どのように生計を立て、どのような未来を見つめて生きてきたのか、上田を追いかけてもわからないことはあまりに多かった。

 裁判では、上田の容姿を上田の弁護士がバカにするような口調で話すこともあり、終始ミソジニーな言説に溢れた中世の魔女裁判のようでもあった。結局、確固たる物的証拠もないまま、上田の死刑判決は淡々と確定していった。

 一審の死刑判決から10年、最高裁での死刑確定から5年、上田はどのような独房で暮らしていたのだろう。21世紀の日本の地方で、貧困にあえぎ、「女」であることだけを武器にするしかなく、それでも「女」であることで貧困と差別が深まる現実を生きながら罪を重ねていった1970年代生まれの女性。上田の最期があまりにもあっけなく、不運なものであったことに改めて胸を締め付けられる思いになる。

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上田が面会で即答したこと