同20日の近鉄戦でも3打数2安打1打点と4番らしいところを見せた大順だったが、その後は6試合で23打数2安打7三振と振るわず、同年限りで退団。翌93年はドラフト1位で台湾・味全に入団し、元巨人・呂明賜とともに主力打者として活躍した。

 実の兄弟なのに異なる名字でプレーしていたのが、西武の守護神として活躍した小野寺力の兄・進藤実だ。

 6歳年長の兄は、両親がともに一人っ子だったことから、家名を残すため、母方の進藤姓を名乗った。NTT東北時代に都市対抗で先発するなど存在をアピールし、98年、弟より早くドラフト7位(1位は上原浩治)で巨人入り。だが、プロでは肩の故障で活躍できず、1軍登板をはたせないまま、01年限りで退団した。

 一方、02年にドラフト4巡目で西武入りした弟が、通算23勝59セーブと兄の分まで活躍したのはご存じのとおりだ。

 プロ未勝利で引退した兄に代わって10年目のプロ初勝利を挙げたのが、昨季までロッテで投げていた田中靖洋だ。

 兄・田中良平は加賀高時代の00年に内海哲也(敦賀気比)、森大輔(七尾工)とともに“北陸三羽ガラス”と並び称され、ドラフト1位でロッテに入団したが、1軍未勝利のまま08年に引退した。

 5歳年下の弟も同じ加賀高から05年に高校生ドラフト4巡目で西武入り。1軍昇格まで5年を要した苦労人は、15年9月12日の日本ハム戦で、7対7の延長11回途中からリリーフ。4番・中田翔に中前タイムリーを許し、1点を勝ち越されたが、その裏、中村剛也の逆転サヨナラ2ランが飛び出し、10年目の初白星が転がり込んできた。

「兄貴は勝てないまま引退したので、その分もという思いもあった」と感慨深げに勝利の味を噛みしめた靖洋は、オフに戦力外通告を受けたが、トライアウトを経て、かつて兄も在籍したロッテに移籍。19年に44試合に登板するなど、35歳までプレーし、通算10勝2セーブ22ホールドを記録した。

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父親違いの異色兄弟!