桜木武史さん提供
桜木武史さん提供

「もうろうとした意識の中で、傷口を押さえると血がドクドクと湧き出て、首筋を流れていくのがわかりました。右下顎の骨は吹っ飛んでしまったので、3回手術をして、自分の肩の骨で顎を再生しました。今でも右の歯は入れ歯です。幸いなことに、味覚の神経はぎりぎりセーフで残っていました」

 当時、桜木さんが血まみれになってよろめきながら歩く姿を地元紙のカメラマンが撮り、1面トップで報じられたという。

 ここまで危険な目に遭っても、傷が治ればまた紛争地へ向かっていった。平和な日本を抜け出し、なぜ戦場を訪れるのか。その理由をたずねると、桜木さんはこう答えた。

「戦争を自分の目で見て報じたいという思いが一番です。戦争というのはそこで暮らす人々から『日常』を奪うということ。水道の水が出ない、電気がない、食料がないという状況になり、日常生活を送るのも困難な状況がある。国際社会で忘れられ、不当な暴力で押しつぶされている“声なき声”を拾い集めて伝えたいというのが動機でした。本当は日本の大手メディアの記者も、現地に行きたいんだと思います。実際にテレビ局の記者がこっそりと取材に来ているのは見かけました。でも実際に現地でよく会うのは、フリーのジャーナリストばかり。テレビ局はコンプライアンスが厳しく、本当に危険な地帯の取材はフリー任せになっているのが現状です」

 大手メディアは危険地帯の取材をフリー任せにしているのに、当事者のフリージャーナリストたちは戦争取材では生活が維持できない。それゆえ、桜木さんは戦場ジャーナリストからの“リタイア”を決断した。だが、今はロシアがウクライナを侵攻中で、ウクライナ市民たちが不当な暴力にさらされている。ウクライナに取材に行きたい、という思いも残っているのだろうか。

「ウクライナにはたくさんの日本人ジャーナリストが行っています。その意味では、(戦争取材の)需要があるんです。マイナーな紛争地だと大手メディアからは『いらない』と言われますが、ウクライナなら採用される可能性は高いかもしれません。需要と供給のバランスですね。ただ、私としては、他の人が報じてくれるのであれば、別に私が行かなくてもいいかなという考えです。戦争取材はもうやり切ったという気持ちですし、これ以上はモチベーションが維持できないんです」

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東京が恋しいとは全然思わない