もう1年早く支配下3人制が導入されていれば(81年に導入)、日本で大化けした可能性もあっただけに、チャンスも与えられずに終わったのは残念でならない。

 シーズン途中に入団し、今ひとつの成績でオフに退団した助っ人も、ファンの記憶に残りにくい。その一人が、97年6月に入団したデビット・パブラスだ。

 同年の巨人は、ロッテから移籍してきたエリック・ヒルマンが2試合に登板しただけで左肩の違和感を訴えて戦線離脱。“台湾のイチロー”と呼ばれたルイス・デロスサントスもほとんど戦力にならなかったことから、内野手のペドロ・カステヤーノとともに、新守護神候補としてデビットを緊急補強した。

 ドイツのフランクフルト生まれという異色の右腕は、84年にカブスと契約し、90年にメジャーデビューをはたしたあと、メキシカンリーグ、台湾、イタリアのセミプロリーグでもプレーし、97年は巨人に入団するまでヤンキース傘下の3Aコロンバスで1勝3敗12セーブと抑えで実績を残していた。

 前年も途中入団のマリオ・ブリトーが19セーブを挙げ、救世主になったことから、「ウチは勝ちゲームの6割は失ったからね。デビットが働けば、チームは落ち着きますよ」(長嶋監督)と“2匹目のドジョウ”を狙った形だ。

 6月10日の横浜戦、2点リードの9回に来日初登板のマウンドに上がったデビットは、先頭の鈴木尚典にいきなり中前安打を許し、二盗で無死二塁のピンチを招いたが、低めに武器のシンカーを決め、後続3人をピシャリと抑えて初セーブを挙げた。

 以来、6月19日のヤクルト戦まで4試合連続セーブを記録したが、結果を出したのはここまで。その後は登板した3試合すべて救援に失敗し、防御率も6.00と急激に悪化。7月4日に趙成珉と入れ替わりで登録を抹消され、そのまま1軍に復帰することなく退団した。約1カ月しか1軍にいなかったのでは、記憶に残らないのも無理はない?

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他選手と混同しているファンも!? 02年入団の両打ち内野手