小笠原文雄医師は、在宅看取りの第一人者だ。同医師のもとでは、末期がんの多くの患者が、最期まで自宅で穏やかに暮らす。週刊朝日ムック『医者と医学部がわかる 2023』では、なぜ開業医として在宅医療の道を選んだのか、小笠原医師にお話をうかがいました。
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大学受験当初は京都大学の数学科を目指していたが、受験直前に父が体調を崩し、在学中に実家の寺院を継ぐ可能性が出てきた。僧侶と医師を両立する知人のアドバイスもあって、岐阜県の自宅から通える名古屋大学の医学部を選んだ。麻雀や部活動に熱中した学生時代を、「出来の悪い医学生だった」と笑いながら振り返る。
「卒業して勤めた市民病院では、『血尿が出ないやつはサボっている』と言われるほどの激務でした。必死で目の前の患者さんを診る日々で、受験生時代よりもはるかに勉強していました」
だが目を悪くしたことをきっかけに、40代で自院を開業することに。それは当時の小笠原医師にとって「敗北」だったと言う。
「高度先端研究を行う名大病院を離れるのは『負け』だと思っていました。在宅診療だって、最初はやりたくなかったんですよ」
背中を押したのは妻だった。在宅医療を必要とする患者の存在を説かれ、小笠原医師は「そんなもんかなあ」と、看護師と共に患者宅の訪問を始めた。
同医師が病院で直面したもうひとつの「敗北」は、「死」だった。
「病院の目標は患者を健康にすること。死という結果は、その目標が果たせなかったことになると感じていました」
だが在宅診療を始めた小笠原医師が目にしたのは、敗北であるはずの死を自然に受け入れ、笑って生きて亡くなる患者の姿だった。
「ありえない、なぜなんだと強く思いました」
やがて小笠原医師は「退院して家に帰るから笑顔になれるのだ」と気がついた。慣れ親しんだ自宅で、家族や近所の人と共に過ごし、好きな時間に好きなことをする。その人らしく暮らすことが余命宣告さえ覆し、その期間を年単位で超える例も少なくないという。