新庄とともに低迷期の阪神を支えた和製大砲としては桧山進次郎の名前が挙がる。入団4年目の1995年に一軍定着を果たすと、翌1996年には22本塁打、1997年には23本塁打を放ち2年連続で20本塁打以上をクリア。その後は確実性を求めてか少しホームラン数は減ったものの、2001年からは4年連続で二桁本塁打を記録しており、キャリアの晩年は代打の切り札としても活躍している。甲子園球場はライトからホーム方向へ吹く“浜風”が強いことから左打者には不利と言われる中で、通算159本塁打を記録したのは見事である。

 新庄が阪神を去った後に長打力を発揮した生え抜き選手と言えば今岡誠と浜中治の2人を挙げたい。今岡は1996年に逆指名のドラフト1位で阪神に入団。野村克也監督時代は批判にさらされることも多く、なかなか結果を残すことができなかったが、2002年に星野仙一監督が就任すると才能が大きく開花。2003年に打率.340で首位打者に輝くと、翌年からはホームラン数を一気に伸ばし、2004年は28本塁打、2005年は29本塁打を放つ活躍を見せている。

 特に2005年は5番打者として驚異的な勝負強さを発揮し、NPB歴代3位となる147打点で打点王に輝き、チームの優勝にも大きく貢献した。中軸として十分な働きを見せたのは2002年から2005年の4年間と短く、タイプとしては完全な大砲という感じの選手ではなかったものの、シーズン29本塁打はラッキーゾーン撤廃後の阪神生え抜き選手では最多の数字である。

 一方の浜中は今岡と同じ1996年のドラフト3位で入団。新庄の抜けた2001年に13本塁打を放って頭角を現し、2002年には18本塁打、2006年には20本塁打を放つなど貴重な得点源として活躍している。故障が多く、なかなか満足に1年間プレーできるシーズンは少なかったが、2000年代の阪神を代表する強打者と言えるだろう。

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現在の打線を牽引する生え抜きの大砲