■1位 本多忠勝 /「徳川四天王」の名に恥じない勇将

 やはり、猛将の第1位はこの漢しかいない。本多忠勝だ。

 13 歳で初陣を飾り、大小あわせて57 回の合戦を経験しながら、手傷を負ったことは一度もなし。「徳川四天王」の名に恥じない勇将である。

 一向宗の門徒であったが、三河一向一揆に際しては浄土宗に改宗して家康側に加勢。19 歳の若さで旗本先手役という親衛隊長に抜擢され、与力54 騎を付属された。

 姉川の戦いでは形勢逆転につながる働き、長篠の戦い、高天神城攻めでも際立つ活躍を見せた。

 本能寺の変が起きた際には家康とともに伊賀越えを果たし、小牧・長久手の戦いでは小牧山城の留守居を命じられるが、豊臣秀吉が手薄となった家康本陣を目指していると気づくやわずか500騎でその行く手に立ちはだかり、悠々と馬に水を飲ませるという大胆な行動に出た。秀吉は忠勝の豪胆ぶりに感心して、さらなる進軍を止めたと伝えられるが、伏兵を疑ったとも考えられる。

 関東入国に際しては上総国大多喜に10万石を与えられるが、この石高は榊原康政と並び、家臣団のなかで2番目の数字。

 関ヶ原の戦いでも功績を重ね、恩賞として新たに伊勢国桑名10万石を与えられた。桑名は東海道の要衝。近江国彦根に封じられた井伊直政と連携して、大坂の豊臣秀頼に対する抑えの役割を託されたのだった。

週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋

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