「江戸川台や、私が住む南流山では80年代に移り住んできた人たちが数多くいますが、すでに子どもが独立して市外へ出ていった高齢者層が多い。最近移り住んできた子育て世代とは、行政に求めるものがまったく違います。長く市に税金を納めてきたのに、市が発信しているキラキラ感をまったく実感できない住民がたくさんいるのが現実です」(石田教授)

 近年、転居してきた住民からも、想定外の開発の速さに戸惑う声が出ている。

「都心から一番近い森のまち」と宣伝した流山市だが、おおたかの森駅から見えるのは森ではなく、これでもかと林立するマンションだ。

 12年ほど前に家族で引っ越してきたという40代の女性は、「自然が残っていることを期待して引っ越して来ましたが、今はもうマンションばかりですよね。ある程度人が増えたら、今度は周辺の環境整備に移るのだろうと期待していましたが……。おおむね暮らしやすいですが、渋滞などの弊害も出ていますし、この開発はどこで止まるんだろう……とは感じています」と複雑な心境を語る。

 そもそも、かつて希少な野生動物だったオオタカが繁殖する森が近くにあることにちなんで名づけられた「おおたかの森駅」なのだが、その「市野谷の森」は開発によりほぼ半分に減った。

 森を守る活動をしてきた「NPOさとやま」の担当者は、

「市野谷の森は周囲がすっかり住宅地や幹線道路に囲まれ孤立した森になってしまい、生きものは生きづらくなっています。流山市の森林率を見ると、この10年ほどで約3割減っています。市内の森が少なくなっている現状とその影響を、一度検証する必要があるのではないかと思います」と語る。

 開発されている地域が「30~40年後は多摩ニュータウンのようになるんじゃないか」という懸念を口にする市民も少なくない。石田教授もその一人だ。

「おおたかの森を『千葉のニコタマ』と呼ぶ人もいるそうですが、江戸川台にしても、かつては多くの子育て世代が流入し活気があった場所なんです。それが、今や駅に急行も止まらず、若者が離れてしまっています。郊外型ニュータウンに移り住む人たちは、安定した収入があり教育に熱心な家庭が目立ちますが、そうした家庭の子どもは独立したら街を出ていくケースが多く、一気に高齢化してしまうのです。街の活気は、なんとかして支えていかないと続かないもの。流山も、宣伝は上手だとは思いますが、子育て世代の人口増加を図るだけではなく、その先に人口を循環する仕組みを考えていかないと同じことが起きるのではないかと思います」

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流山を「知ってもらえてうれしい」との声も