イルピンから避難してきたアンナ・ヤキモヴァさん(撮影/上田耕司)
イルピンから避難してきたアンナ・ヤキモヴァさん(撮影/上田耕司)

 国から生活支援があるオルガさんとは違い、公益財団から援助を受けている避難民もいる。ハルキウ出身のマリアさん(23)だ。オルガさんのように日本に身寄りのないウクライナ避難民は国の支援対象になる。一方で、身寄りのある避難民は日本財団に申請をして認められた場合は、同財団から金銭的な支援を受けられる仕組みになっている。

「日本財団から、3カ月ごとに25万円のお金のサポートを受けています。それにアルバイトもしています。バイトでは日本語が必要なので、日本語の勉強もしています」

 日本に滞在してまだ7カ月だが、すでに日本語で会話できるくらい、上達した。東京での生活はどう感じているのかを聞くと、故郷を思い浮かべながらこう話した。

「最初はどんな食べ物がおいしいのかわからなかったけれど、今は果物がおいしい。ブドウとリンゴはふるさとのなつかしい味がするので好き。ウクライナでは毎日、リンゴをたくさん食べていました。ブドウは家で栽培していました」

 ハルキウには、まだ家族が住んでいる。

「私のふるさとはロシアから35キロしか離れていません。戦争が始まったとき、ひどい爆弾の音が聞こえました。ハルキウには、私の姉、両親、おばあさん、友達が住んでいます。ときどき、ブラックアウト(停電)するようで、4~5日間、連絡できないことがあります。とても心配です」

 横浜市の市営住宅に住んでいるアンナ・ヤキモヴァさん(25)は、キーウの隣の都市イルピンから避難してきた。ロシア軍の侵攻でキーウは住宅やインフラが破壊され、大きな打撃を受けた。

「昨年3月には電気がなかった。爆弾の音がいつも聞こえ、危なかった。だから、母と避難しました」

 アンナさんは母親とポーランドの首都ワルシャワに住む祖母の家にいったん避難した後、ワルシャワで母親と別れた。

「ワルシャワで仕事を探すのはとても大変ですし、アパートも順番待ちでした。母親はワルシャワの祖母の家にそのまま住むことにして、私だけが日本に来ました。私は以前から日本に興味があり、日本に行きたかったからです。戦争が始まったとき、4年前にキーウで会った横浜の友達に電話して、『保証人になってください』とお願いしました。友達は『もちろん、いいよ』とオーケーしてくれました」

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