彼女は1人で市営住宅に住み、マリアさんと同様、日本財団からの支援を生活費として受け取っている。
「それ以外に、英会話教室で英語の講師のアルバイトをしています。それから、毎日9時から12時半まで日本語の学校に通って勉強しています。これは無料です」
父親はウクライナ軍の兵士として、ロシア軍と戦っている。
「父はスナイパーで、昨年5月に足をケガしました。それでも手術をして1カ月後には軍隊に戻った。すごく心配です。電話はできませんから、毎日、スマホでメッセージを送っています。『パパ、きょうは元気?』と聞くと、『はい、元気です、以上』。『あなたは大丈夫?』『はい、大丈夫』とか、そういう短い会話だけ。戦争がまだ続きそうなので、しばらく日本に住み続けたいと思っています。でも、戦争が終わったら帰ります。家族と住みたい。1人では寂しいから」
日本での暮らしに苦労している避難民もいる。
東京都に住むオクサナ・ルブキナさん(50)は、ウクライナでも南西ロシアと接する都市スムイの出身。息子のグレゴリーさん(9)と昨年3月に避難してきた。
息子を日本の小学校に通わせる難しさをこう話す。
「小学3年生の息子のクラスには37人の生徒がいます。息子は日本語がわからないから、学校にいる8時から14時まで、授業をほとんど理解できずに教室に座っています。学校の先生たちはがんばってくれているけど、ロシア語やウクライナ語がわかるわけではない。日本人の生徒はたくさんいるし、私の息子だけを教えているわけでもないので仕方ないのかもしれないけど」
息子は家に帰って、学校でのストレスを母親にぶつけるという。
「戦争でのストレスがあったし、日本に来てからも小学校になかなか慣れなくて友達がつくれなくて。日本語がわからないから勉強も進まない。そのストレスを全部、私にぶつけるんですよ。だから私も体を壊しちゃって。ほんとにきついですよ。息子が苦しんでいるのを見るのは、母親として、この子以上に苦しい。私がこの子をここまで連れてきたんですから」