政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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新型コロナウイルスが猛威をふるっています。世界中に感染者が広がるにつれ、欧米ではアジア系の人に対する排他主義や人種差別が露わになりました。イタリアの国立音楽院の東洋人に対するレッスン中止、米国のカリフォルニア大学バークリー校による「アジア出身者への嫌悪感は普通の反応」というSNSの投稿などが報道されましたが、これらはあくまでも氷山の一角でしょう。
今回のアジア系への排他主義や人種差別は、日清戦争前後に欧米で横行した黄色人種への差別「黄禍論(イエロー・ペリル)」が亡霊のように現代に蘇ったと言えると思います。
ヨーロッパには蒙古襲来やオスマントルコ帝国といった大きな括りでいうアジア系民族による侵略に苦しめられた歴史があります。そのため、アジアに対する警戒心が色濃く残り、のちの日清戦争以降の日本の戦争勝利で黄禍論として欧米にさらに広がったのです。
21世紀になり、これだけ人権が叫ばれる世の中になり、人種で物事を語る時代はもう終わったと我々は思っていたはずです。ところが、中国が一帯一路でヨーロッパにまでネットワークを広げたことで、ヨーロッパの中に潜在的に黄禍論が噴き出す下地ができていました。そこに突如現れた新型コロナウイルスの拡大が、潜在的にくすぶっていた黄禍論に火をつけることになったわけです。
ここで気をつけなくてはいけないのは、黄禍論というのは単純な人種概念ではないということです。
自分たちは黄禍を言いだしている欧米側であると信じたいのに、欧米では日本人や韓国人も中国人もアジアで一括りにされて黄禍の対象になっています。そんな現実の一方で、あくまでもそれは中国のことで、同じ括りにされている日本や韓国はとばっちりだと考えている人がいると思います。
ここにアジアが一つになりえない理由が、あぶり出されています。欧米に湧きだした黄禍論の問題はすべて中国にあって、中国恐怖症(チャイナフォビア)が原因で、自分たちはとばっちりだと、そこだけで考えていくと、黄禍論のトラップにまんまと引っかかってしまうでしょう。
※AERA 2020年2月24日号