稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
この記事の写真をすべて見る
会社を辞めてから、この手のお知らせを真面目に一生懸命読むようになった。進歩だと思う(写真:本人提供)
会社を辞めてから、この手のお知らせを真面目に一生懸命読むようになった。進歩だと思う(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【この記事の写真の続きはこちら】

*  *  *

 先日のアエラの特集「倒れる前の手続き・備え94」を見て、感慨深い思いにとらわれている。

 タイトルを見たときは、多少ボケの来た身にとっては94も備えなきゃならないことがあるなんて、それだけでエネルギーを使い果たしてむしろ倒れそうな気がしたんだが、中身をよく読むとそのような心配は杞憂であった。ほとんどが私とは無縁だったからである。

 日頃から十分備えているから……などという理由ではない。夫も子もおらず会社にも勤めておらず、最低限の家財しかないとなれば、そもそも備えの制度がないのであった。会社に勤めていれば病気介護で休んだり辞めたりせざるをえなくなったら補償金をもらえるそうだが、フリーにはそもそもそのようなセーフティーネットがない。また夫も子もいなければ自分が倒れても困るのは自分だけなので、残した人のために何かを準備しておく必要もない。

 おまけに私の場合、冷蔵庫もないので急に入院しても冷蔵庫の中のものを心配せねばならない必要も全くない。

 言い換えれば、私など生きていようが死んでいようが、人もモノもちっとも困りゃしないのである。

 これ即ち孤独というんだろうが、見方を変えれば心配事もない。多くのモノや責任を背負っている人ほど、備えねばならぬことも増えていく。それを一人前の人間というのであろう。つまりは私は一人前であることを放棄したのだ。無責任である。しかし歳をとれば誰しも一人前ではなくなっていくことを考えれば、老後に備えて無責任になってしまうというのもそれはそれでアリなんじゃないだろうか。

 というわけで、すでに備えどころか保険も全て解約しているのだが、それで良いのだと再確認。憂いなければ備えの必要もなし。あ、借家人の義務として火災保険には入っているが、このたび更新時期を迎えて地震特約を外してもらった。よく見たら補償対象となる家財がないことが判明したのだ。約3千円の負担が浮く。燃費のいい人生である。

AERA 2019年12月2日号