皇太子妃時代、雅子さまは「大勢に囲まれて、写真に撮られることが苦手」とされていた。それが皇后になって、すっかり変わった。その理由を尋ねると、斎藤さんは「人前に立つことに意味があると、はっきり感じられるようになったのだと思います」と答えてくれた。国内で頻発する災害を例に、
「自分たちは被災者を励ます存在で、つまりいるだけで価値がある。そういう存在だから、自分を見せる、見てもらうことに意味がある。そのことに気づかれたのではないでしょうか」
と、解説してくれた。すごく腑に落ちた。
雅子さまの写真が苦手な理由を「外務省時代に『お妃候補』としてマスコミに追いかけられたことの後遺症」と聞いたことがあった。それもあるだろうが、個人的には「仕事」と関係があったと推察している。
雅子さまは「皇室外交」という希望を持って、外務省を辞めて皇室に嫁いだ。つまり、場所を変えても仕事をするつもりだった。だが、雅子さまが第一に求められたのは「男子出産」。仕事なら努力で結果を出せるが、出産は努力だけでは結果が出ない。その現実を前に、皇太子妃として生きる意味を見失っていったのではないだろうか。
仕事は能動的なものだ。写真は撮られるもの、受動的なものだ。「能動」ができれば、それに付随する「受動」も受け入れられる。が、「能動」が封じられた状態で、「受動」だけ求められるのは苦痛になった。雅子さまが写真を苦手にしていたのは、そういう理由ではないかと思っている。
斎藤さんは、「いるだけで価値がある」という構図は皇太子妃も同じだし、周囲からそのような説明もされていたはずだと語っていた。だが、皇太子妃時代の雅子さまは、それを実感できなかった。それが皇后になり、実感できた。
斎藤さんは、皇后になって以降の雅子さまの状態を「地位と自己評価が一致している」と表現していた。「それは間違いなく自信になるはず」とも。
陛下の即位以来、お二人の行くところはどこも大変な人出になる。スマホを手に大勢が待ち受ける。雅子さまは、いつも笑顔で手を振っている。撮られることを苦にする様子はない。パレードは、その集大成でもあったろう。