——ツイッターでトレンド入りするなど、妄想短歌が話題になるにつれ、「ドラマの宣伝の一環なのでは?」という声もあります。

 いえ、全然“仕込み”などではなく、勝手にやっています(笑)。私は、頼まれてもないのにやることが好きなんです。仕事ではなく、純粋な楽しみとして詠んだり書いたりすることが、いちばんの贅沢だと思うから。

 例えば私にとっての短歌も、頼まれてもないのに作ったのが最初ですが、だんだん仕事になってくると、頼まれて書くようになる。それはありがたいことである一方、本当の豊かさは、頼まれてもないのにやることの中にあると思うのです。朝ドラの中でも、貴司くんが“売れる歌集”を作れと言われて悩むシーンがありますが、誰かから何かを期待されて作るサイクルばかりになると、自分が何のために作っているのかわからなくなることがあります。

 だから頼まれてもないのに詠んでいる妄想短歌で、自分の原点でもある“言葉を使う喜び”を思い出させてもらってもいます。何をやってもいい自由さと、止めてくれる人がいないという怖さは、責任も伴いますが、私にとってはすごく贅沢な遊びなんです。

——俵さんにとって、短歌を詠む行為とは?

 私にとっては、生きることと並行して、短歌があります。短歌を考えるのは、朝起きて、そのまま寝床でというのが多いパターン。感じたものや見たものが、一日かけて心の中に沈んでいって、次の日の朝、起きた時に浮かんでくるというサイクルです。洗濯したり掃除したり、日常の雑事が始まる前の時間の方が、考えやすいのかもしれません。

——280万部のベストセラーとなった第1歌集『サラダ記念日』から35年。昨年末、60歳の還暦を迎えられたばかりですが、今の心境は?

 日常を大事に生きていたら、何か大きな鉱脈を掘り当てるようなことはなくても、歌を詠み続けることができる。そう信じられるようになりました。

 実は3年前に出した6冊目の歌集(『未来のサイズ』)が、高い評価をいただいたこともあり(歌壇の最高峰とされる迢空賞のほか、詩歌文学館賞を受賞)、「次はどうしようかな」と立ち止まっていた時期がありました。私のこれまでの6冊の歌集は、前半3冊は主に恋愛がテーマ、後半3冊は子どもがテーマです。息子が20歳になって手を離れた今、これから何をテーマにしようかと。今後の自分と短歌について考えていた時期がありましたが、最近、日常を大事に生きていたらそれで良いんだと、少し自信が持てるようになりました。

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高齢の両親に「人生の予習」をさせてもらっていると