「息が苦しくなるまで運動する」などの理不尽なきまりを課せられ、「もう、あしたはぜったいやるんだぞとおもって、いっしょうけんめいやる、やるぞ」と「反省文」を書いた結愛ちゃんと、幼いころの自分が重なる。事件発覚のニュースを見た時は、フラッシュバックを起こしかけ、自分が小さな女の子に戻ったような感覚に襲われたという。
3、4歳の頃、動いている洗濯機に入れられた。泣きやまないからとガムテープで口を塞がれたりしたこともある。「これでもう殴られなくてすむ」と力を抜き、驚いた母親がテープを剥がした。「生きるのを諦めたことで、生き延びた」。だが当時の記憶は長い間、あいまいだったという。「つらさを麻痺させるため、無意識に切り離そうとしたのだと思う」
40歳を過ぎ、摂食障害の治療でカウンセリングを受けると、封じられていた過去の体験がよみがえった。フラッシュバックを起こして記憶が途切れたり、別人格が現れたりして日常生活もままならなくなり「複雑性PTSD」と診断された。治療終了後も、虐待の後遺症が完全に癒えたとは言えない。
母親はサクラさんを「エリートにする」ため、テストで1問でも間違えると正座させ、厳しく責め立てた。こうした体験からミスを極端に恐れるようになり、職場でも叱られないよう、絶えず気を張り詰めるようになった。治療前は同僚に対してもとげとげしく、世間話もろくにしなかったという。サクラさんは、「精神的虐待がもたらす『生きづらさ』は生涯に及び、体罰よりも傷が深い場合もあることを知ってほしい」と訴える。
講演で、橋本さんは小学生時代につけられたあだ名が「暴力人間」だったと打ち明けた。家の外ではすぐ人に殴りかかるなど粗暴で、「家に帰りたくなくて、校庭でダンゴムシやミミズを引きちぎり、ニヤニヤしているような不気味な子だった」。
橋本さんは学生に、「問題行動を起こす子の背景には、虐待があるかもしれないと考え、優しく声をかけ続けてほしい。すぐには心を開かなくても、いつか本音を引き出せるかもしれない」と呼びかけた。
3人は将来、自分たちの体験を、子ども向けの紙芝居にしたいと考えている。しつけと称する体罰や性暴力、教育虐待などは、子ども自身が虐待だと認識できないことも多いためだ。「紙芝居で虐待に気づき『大人に助けを求めてもいいんだ』と思ってもらえれば」(橋本さん)
別々に歩んできた3人の物語が一つにまとまり、明るい方へと歩き出す──。そんなラストシーンにしたいという。(ジャーナリスト・有馬知子)
※AERA 2019年10月7日号より抜粋