■もう何回も壊れた
実はそれまで、甲斐さんは「なんで、裸で祭りをやる必要があるんだろう」と思っていた。しかし、実際にふんどし一丁になって群集の中に飛び込むと、その理由がわかった気がした。
「男たちの汗でぬれた肌と肌がこすれ合う。においもする。あの気持ちの悪さや怖さというのは、あの中に入らないとわからないですよ。それがエネルギーの源になるというか、恐怖を跳ねのけるために参加者は野性的な姿になっていくのでは、と感じた。つまり、人を何かに向かって駆り立てるためにはだか祭りというものが生まれたのではないか、と思った」
甲斐さんの撮影は「ポジションが命」だと言う。しかし、もみくちゃにされて、撮りずらくないのだろうか?
「もう最初から撮りやすさは求めていないですね。自分が思い描いたようには絶対に撮れないですから。ざるやぶり神事は本当に体がぶつかる距離に相手がいるので、ピントはだいたい1メートルに固定して撮りました」
激しくもみ合っている最中、盛大に水がかけられる。撮影機材を水から守るため、透明なポリエチレン製の「カメラレインカバー」で覆った。
「一応、防御して撮影に臨みますけれど、一番水にやられやすいのはストロボです。もう何回も壊れました。修理に出すと、中がさびていました、って言われるんですよ。ほぼ、ざるやぶり神事で水がかかったのが原因だと思うんですけれど。とにかく、ストロボは何回修理に出してもすぐに壊れてしまうので、安いのを中古で探して使っています」
裸の男たちがぶつかり合う祭りのクライマックスはせいぜい30~40分。それほど多くは撮れない。
「フィルムはたくさん持っていきますが、10本も撮れれば御の字ですから、複数年撮る必要があります」
■コロナ禍で中止でも通った
はだか祭りの作品を納めた「綺羅の晴れ着」には、ざるやぶり神事のほか、「蘇民袋(そみんぶくろ)」を奪い合う岩手県奥州市・黒石寺の蘇民祭、宝木(しんぎ)をめぐって争奪戦を繰り広げる岡山市・西大寺の会陽(えよう)、社殿の柱をよじ登る群馬県みなかみ町・若宮八幡宮のヤッサ祭りが収められている。
この3年、コロナ禍で甲斐さんが撮り続けてきたはだか祭りはすべて中止された。それでも祭りの時期になると、地元を訪れた。
「顔を忘れられないように、あいさつに行くんです。まあ、それで何かが起こるかといえば、何も起こらないんですけれど、今後の撮影につながっていけばな、と思っています」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】甲斐啓二郎写真展「綺羅の晴れ着」
禅フォトギャラリー 3月25日~4月22日