![内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/0/1/415mw/img_018adfe737982a59fb10918ec650288a29320.jpg)
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哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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移民政策について時々意見を訊かれる。短期間に大量の移民を受け入れることには反対であるとお答えしている。
勘違いしてほしくないのだが、私が反対しているのは「短期間に大量」の受け入れであって、ゆっくり時間をかけて、少しずつ受け入れることは不可避だし、自然過程だと思う。ことは程度の問題であって、原理の問題ではない。
欧州では、大量の低賃金労働力が必要になった時に、先のことを考えずに大量の移民を入れた。状況が変わり、それほど人手が要らなくなった。けれども、移民たちはすでに深く根を下ろして、もはや「帰るべき祖国」を持たなかった。
移民労働者を雇用の調整弁として活用し、要るときだけ使って、要らなくなったら帰国させるという虫のいいことを考えての移民政策なら、それに成功した先例は一つもない。
彼らの多くがそのまま日本に定着して、「同胞」になるということを勘定に入れて制度設計はなされるべきだろう。
それは、彼らを包摂するための教育や医療や福祉にかかわるコストはわれわれが引き受けるということである。宗教を異にし、母語を異にし、食文化や生活習慣を異にする「よくわからない人」を隣人として受け入れるということである。日本が他民族・多文化共生社会になるということである。
長期的にはそうなるし、そうなる他ないだろう。けれども、そのような社会的変動をすぐに受け入れられるほど日本人は市民的に成熟していない。だから、短期間に大量の移民受け入れを実施すれば、欧州諸国のように、「民族浄化・移民排撃」を掲げるレイシストが登場してくる。そして、「多文化共生」をめざす人々と「民族浄化」を呼号する人々の間の烈しい対立によって日本社会は深く分断されることになるだろう。
それを回避するためには、出自を異にするさまざまなタイプの外国からの到来者を、固有名と「顔」を持った現実的な隣人として歓待し、できるだけ多くの人が彼らとの交友を通じて「他者と共に暮らす技術と知恵」を身に着けるしかない。時間はかかるけれど、それしか手立てはない。
※AERA 2019年5月13日号
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