町屋氏自身、ボクシングジムに8年間通った。緻密な描写は、その経験のたまものだ。
村田:1R1分34秒って、早いですよね。ああだこうだ考えていたわりに、あっさり終わってしまった試合なんですよ。
町屋:あれだけ練習を積み上げたのに、たったこれだけの時間で、自分の練習の成果が自分でもわからないうちに終わってしまう。そういう試合ですね。
村田:練習とは、ただ練習だけじゃなくて、思考を積み重ねることです。それでも終わってみるとあっさりしているというのは、ボクサーとしてすごくわかります。金メダルすら、過ぎてしまえば、なんでこんなことのためにこんなに緊張してきたんだろう、と思うんです。
ボクシングをやっている人間は、みんな認められたいという気持ちがあります。認められるというのは、いわば他者の評価。金メダルも世界王者も結局、その他者による評価のひとつで、自分自身を肯定するためのツールにすぎないんですよね。
町屋:小説を書いていても、たしかに他者評価をよりどころにしているところがあって、一方で自分のなかの自負も両立させていかないといけない。だけど、他者の評価で得られるモチベーションは長くはもたないんです。
村田選手は敗戦となった昨年10月の試合を、練習中のコンディションが悪くなったときに自分のスタイルを変えた決断がよくなかった、と振り返っています。そこに衝撃を受けたんです。自分の「決断」がよくなかったと自分で「決断」するのは、並々ならぬことだと思いました。
村田:当時の決断を後悔しているわけではありません。ただ、ボクシングはメンタルスポーツなんで、練習で調子が悪かったりすると、その因果を技術などいろいろなものに求める。自分の基本がよくないんじゃないか、とか。でも違うんです。習得した技術は、そんな簡単に手から滑り落ちるものではない。本当の原因は疲労なんですよ。
自分はそこの決断がよくなかった。疲労を抜く決断をすべきだったところを、テクニックを変えようと考えてしまった。経験値として今後に生かさないといけないと思っています。