1969年、9歳のときには友人とプロ野球のオールスター戦を観戦。隣には解説者の佐々木信也さんが付き添った。ひいきのセ・リーグが攻撃する際には身を乗り出して応援したという。
浩宮さまにファウルボールが当たってはいけない――佐々木さんはそんな思いでグラブを持っていた。すると、浩宮さまは、
「僕が捕るよ!」
と、そのグラブをずっと手にはめ続けた。王貞治選手がゲームで活躍すると、当時の流行語だった「モーレツ」と声をあげて喜んだという。
浩宮時代には、夏の甲子園の始球式でボールを投げている。
88年の第70回記念大会の始球式。浩宮さまはスーツの上着を脱いでマウンドにあがった。打席に立ったのは、常総学院(茨城県)2年生の仁志敏久さん。のちにプロ入りし、巨人などで活躍した名選手だ。
仁志さんは、2015年に高校野球100年を記念するシンポジウム「新たな夏、プレーボール。」で、浩宮さまとの始球式をこう振り返っている。
<「浩宮さま(現天皇陛下)が始球式をされて、「打っちゃいけない、打っちゃいけない」と緊張していました。打たない練習をしたことがないので。(中略)直前に、同高校の木内監督から「球が通り過ぎたら振ればいいんだ」と言われ、「最初から言ってくれよ」と>
始球式で皇太子さまの投げたボールは、ワンバウンドしてしまった。
「やはり難しいものですね。本塁まで遠く感じました」
浩宮さまは、そう感想を漏らした。当時から変わらない実直な性格がうかがえる。
東都大学野球連盟創立85周年を迎えた16年には、国学院大の特別招聘教授を務める三笠宮家の彬子さまが始球式を務めた。国学院大学のユニホームを着用した彬子さまは、投球後に元気いっぱいの笑顔で手を振られたのが印象的だった。
スポーツを通して皇室を見ると、意外な素顔が見えてくる。
(AERA dot.編集部・永井貴子)