浄土寺(兵庫県小野市)阿弥陀三尊像(撮影:佐々木香輔)
浄土寺(兵庫県小野市)阿弥陀三尊像(撮影:佐々木香輔)

 一般に知られる奈良博は仏教美術品を展示する博物館だが、研究機関としての役割も大きい。そこで佐々木さんは「写真技師」として、仏像を「研究資料」として撮影することを求められた。

「研究資料としての撮影にはさまざまなルールあります。例えば、シャドー(影)をつくらない、見えない部分をつくらないとか。でも、『写真家』としてはすごく違和感があった。立体物を平面的に撮れ、ということですから」

 一方、飛鳥園で学んだ撮影哲学はまるで違った。

「師匠は、何で立体物を影なく撮らなければいけないんだ、と言っていました。そんなふうに撮ったって何もわかんねえよ、って。だからシャドーをつくれ、と。影があることで見えない部分を想像させることができるし、見えないからこそ、引き立つ魅力があるんだ、と教えられました」

 そんなわけで、資料写真は「ものすごく撮りずらかった。あまり思いが入らないというか」と漏らす。

「でも、『文化財を記録する』という意味では、そういう撮影も必要だということは11年間働いてすごく理解できた。異なる撮り方を二項対立じゃなくて、共存させたい思いがありました」

大報恩寺(京都市)十大弟子立像の一つ、阿難陀立像(撮影:佐々木香輔)
大報恩寺(京都市)十大弟子立像の一つ、阿難陀立像(撮影:佐々木香輔)

■世間の評価に流された

 奈良博で働き始めたころは資料写真の撮影ばかりだったが、しばらくすると、飛鳥園で学んだ撮り方を試みるようになった。

「現場で『すいません、最後にシャドーがきつめのを1枚撮っていいですか。10分だけ時間をください』とか言って、頭を下げて撮らせてもらった」

 しかし、納得のいく仏像写真が撮れたわけではまったくなかった。

「師匠は『仏像を撮ると、その人の心が写るからね』って、よく言っていました。じゃあ、ぼくがどういう仏像を見たかったか、写したかったかというと、20代のころはすごく漠然としていた。例えば、この仏像は金ぴかの部分がとてもすてきなんですよ、と言われたら、そういうもんだ、としか見られなかった。つまり、世の中の評価に引っ張られていた」

 撮影の腕も未熟だった。

「師匠の撮り方を見よう見まねで撮っていたんですけど、要点がつかめなかった。ライティングのやり方も教わったんですけれど、自分の血肉とはなっていなかった」

 それでも次第に佐々木さんの目に独自の仏像の姿が映るようになった。

「1時間とか2時間とか、短い時間のなかで、現場でいろいろな方向から光を当てていくと、これこそ自分が見たかった仏像の姿だっていうものが見えてくる。それは仏像の総体としてのイメージで、そのお姿をどうやって写真の四角いフレームに切り取っていくか、という感じです。そこには自分が納得できる仕上がりのラインがあって、それをどう越えていけるか、というところですね」

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