敗戦後、平木氏の事務所では高市氏から届いた「県連会長でありながら、国会答弁に追われたうえ、高熱が続き、張りつきで応援することができませんでした。深くおわび申し上げます」というコメントが読み上げられた。
平木氏と荒井氏の獲得票数を合計すると山下氏の票数を超えていただけに、仮に自民党が候補者を一本化できていれば、違う結果になっていた可能性も高い。荒井氏の側近はこう話す。
「奈良で4期16年、何の問題もなく県政を続けてきた荒井さんに対して、高齢が理由であれ、多選が理由であれ、高市さんが(荒井氏を)代えるべきだと思われたのでしたら、もっと早い段階で荒井さんに電話をするなり、お会いするなりして、きちんと話をすべきでした。そのうえで、お互いが納得できれば、荒井さんも平木さんも身の振り方は全く違うものになっていたと思います」
荒井陣営としても、きちんと根回しがあれば「保守分裂」は避けられたと考えているようだ。荒井氏と20年来の親交がある後援者はこう話す。
「昨年秋の段階で、(荒井氏と平木氏が)お互いにどう協力し合っていけるかという話し合いができていればと悔やまれます。仮に荒井さんが知事を継続するとしたら平木さんは副知事として4年間しっかり勉強してもらってからバトンタッチする。逆に平木さんで一本化するのであれば、荒井さんが顧問なり委員会の座長として後ろでアドバイスしていくという形も取れたはずです。高市さんには最初からそんな考えはなさそうで、荒井さんを排除しようとする動きに見えました」
1月15日、県連選対委員会が開かれ、平木氏と荒井氏のどちらを県連として推薦するかは、県連会長である高市氏に一任された。高市氏は平木氏の推薦を決めた。
それからは、荒井陣営と平木陣営はドロ沼の対立を繰り広げた。
「1月27日に荒井さんの“励ます会”が予定されていたのですが、(平木陣営は)会の開催までに『後援会を解散するように』と39市町村の後援会長に突きつけてきたらしい。後援会長は地域の首長が多く、ある首長さんからは、涙声で『私も次に選挙があるので(平木さんのバックにいる)高市さんから推薦がもらえないと困る』と電話をもらったこともあります。自民党の基盤だった39市町村の結束がメチャクチャにされてしまった」(荒井氏の側近)