この夏、世界文化遺産への登録が正式に決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。その陰に、禁教が解かれた後も「かくれ」続けた人たちがいる。
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長崎県平戸市の西北、東シナ海に浮かぶ生月島(いきつきしま)。島の漁師、川崎雅市(まさいち)さん(68)は毎夕、「御前様(ごぜんさま)」と呼ぶご神体の前に正座し、かくれキリシタンの祈り「オラショ」を唱える。
「でうすぱーてろひーりょうすべりとさんとのみつのびりそうな一つのすつたんしょーの御力(おんちから)を以(もっ)て始め奉る──」
小さな声で約10分。「六巻(ろっかん)」と呼ばれる短いオラショだ。
オラショは重要な行事に欠かすことができず、島では男性だけが唱えることができる。ラテン語の「Oratio(祈り)」から来ており、もとは16世紀にキリスト教宣教師が伝えた祈りや聖歌だ。
禁教令が出た1614(慶長19)年から、禁教が撤廃された1873(明治6)年までの約260年にわたる禁教時代に変容しながら口伝され、今では原語の意味をたどることさえ難しい「お経」のようなつぶやきに姿を変えている。
「ご親族やわが家族とともに、どうぞ一日をお守りくださいましてありがとうございました。そんな、感謝の気持ちを込めています」
とつとつと川崎さんは話す。
数年前までは朝も欠かさずオラショを唱えていた。しかし、漁に出るため朝4時半には起きなくてはならず、年を取りつらくなってきた。朝は、御前様に手を合わせ「一日の幸せ」を祈るだけの時もあるという。
「一日の始まりと終わりは、手を合わせる気持ちになります」
この夏、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産登録が正式に決まった。大浦天主堂、原城跡など長崎県と熊本県に点在する12の資産で構成され、禁教期に密かな祈りを守り続けた世界的にも稀有な遺産だ。
構成資産の一つ、生月島の約2キロ沖合に浮かぶ無人島の「中江ノ島(なかえのしま)」は今もかくれキリシタンの聖地だ。禁教時代に多くのキリシタンが処刑された。断崖の割れ目からにじむ「聖水」は決して腐らず、奇跡を起こすという。