森繁(久彌)さんにも鍛えられたわね。現場で掛け合いみたいにして、どんどん作って、実際、そういう作品がヒットした。渥美(清)さんも面白かったぁ。なまじ出来のいい台本よりも、どうしようもない台本のほうが、「私はこう言うから、あなたこう言って」てな具合で作って、かえって面白くなったりもするの。
そういうのをもっとやればいいと思うのよ。例えば「モリのいる場所」で、守一の家の前にマンションを建てているオーナーが、むりやり家に上がりこむシーンがある。主を待っている間、オーナーがタバコを吸いだすんだけれど、妻の秀子は不愉快なもんだから、自分のすぐ横のたんすの上にある灰皿を渡さず、「豚(の蚊取り線香の器)」があるでしょって突き放す。
こういうセリフも事前の打ち合わせなしに、現場ですっと言って、相手が「豚?」って本当に探すほうがいいの。人間が生きてくる。人間が起きてくるのよ。最近は私も立派になって、いきなり言うなんて失礼なことはしなくなったけれども。
なんでもない日常を切り取りながら、人間を映し出すというのは本当に難しいことなの。私は台所仕事の場面も多いけど、普段は自分のものしか作らないから大してしてない。でもおいしく見せたいというのはあるのよね。
「モリのいる場所」でカレーうどんを作る場面では、ネギをわりかし荒っぽく扱ってシャシャシャと切った。是枝さんの「歩いても 歩いても」では茹でた枝豆に塩を振るシーンがあって、最初、食卓塩が用意されていた。「すみませんけど、ちょっとした容れものに普通の粗塩を入れてくれません?」って美術さんに頼んで、塩をひゅっと取って、しゃしゃってまいたの。そのほうがおいしそうに見えるでしょう?
■「普通の生活」が役者の基本、Suicaも持っています
そういう小さなことの積み重ねが、映画のなかの「日常」にリアリティーを加えていく。でも、それは普段からいろいろ見ていないとできない。現場でいきなり思いつくものでないのよ。役者は当たり前の生活をし、当たり前の人たちと付き合い、普通にいることが基本。私は普通に電車に乗るし、Suica(スイカ)も持ってますよ。