文化人類学者の松村圭一郎さんは、エチオピアでフィールドワークを続けて20年。見えてきたのは、人は大勢いるのに「まわりの人が不在」という日本の課題だった。
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──エチオピアは、人と人とが密に交わる「共感大国」だそうですね。孤独にさせてもらえなかった?
松村:バスで目が合えば、「タチャウト(話して)」「イシ(はい)」と会話が始まる。部屋で本を読んでいたら、すぐに「何してるんだ? こっちに来い」とまわりから声がかかる。現地では、交わりを断って一人でいるのは、何か悪巧みでもしているんじゃないかと疑われるぐらい、異様な行為だと見られるんです。生活の全てがつねに他人との関わりの中にある感じで。
──松村さんの著書『うしろめたさの人類学』を読むと、現地では毎日が喜怒哀楽の塊だったと。
松村:そうそう。僕自身、時に激しく憤慨していたし、厄介なことも多かった。日本に帰国してみると、心に波風が立たなくなった。物事がスムーズに進んだ。人との関わりのストレスがなくなった。その代わりに、心がスカスカになった気がして。感情もわかないし、社会がサラッとしていると感じました。
──コンビニに店員がいて、マクドナルドのゼロ円スマイルもあるけれど。
松村:日本も人口は多いのに、街で「人」と出会わない。目が合わないんです。それは、貨幣と商品を交換する「交換のモード」が強すぎるから。それって、楽なんですよ。モノを受け取ったら対価を返すだけ。ただしその分、「共感」は抑え込まれて、感情はわき立たない。
──私も「まわりの人が不在」という日本の課題に目を向けてきました。アエラ本誌の連載「東京で老いる」(2016年8月22日号~9月5日号)では、都市部の孤独をつくる「鉄の扉問題」を取り上げています。都市部では、孤立死が怖いということで、住民による高齢者の見守りの取り組みも始まっています。郵便物のたまり具合とか、安否確認とか。その最大の障壁がマンションのオートロックだと。人の関わりを絶ってきた「鉄の扉」ですね。私たちはプライバシーを重んじた結果、地域から引きこもったわけで、今後私たちは、その「扉」をこじ開けるのかどうか、端境期にきています。
松村:僕、最近読んだネットの記事があって。田舎暮らしに憧れて地方に移住した人が、洗濯物を干しているかを見られて、干渉されて、監視されているようで嫌だと。