円丈:一つの時代でした。
喬太郎:師匠方が闘ってらしたように、僕らの世代でも「新作なんて」という風潮がありました。僕なんて「(古典派の)さん喬の弟子が新作なんて」と邪道みたいに言われましたから。円丈 それじゃあ僕なんて、邪道の元祖だ(笑)。
──最近では新作を邪道だという空気はなくなっているんじゃないですか?
円丈:というか、新作全体が地盤沈下しているんじゃないでしょうか。新作はもっとエネルギーに満ちたものでなきゃいけないのに、普通のものになってしまった気がします。
喬太郎:師匠方がものすごいエネルギーで闘っていらした、その背中を、弟子世代にあたる我々は拝見してきたつもりです。
円丈:喬太郎くんが(春風亭)昇太くんたちとやっていた話芸集団SWA(創作話芸アソシエーション)はドーンと出てくるエネルギーがあったよね。喬太郎 僕が高校生から大学生だった1980年代は、「落語という芸能はダサい」と思われていました。落研なんてモテないやつの代名詞ですよ。
今の若い人が落語について先入観がないのは、若者の身の回りから落語がなくなって、いわばいっぺん死んだからじゃないかと思っています。知らないから、彼らは謎掛けや落語をダサいとは思わないし、古典も新作もなく、面白いものは笑ってくれる。その点、やりやすいし、恵まれていると思います。ただそういうお客さんは、こちらが頑張らなくても聞いてくれるから、闘う必要もない。それで、円丈師匠がおっしゃったような状況が生まれるのかもしれません。
円丈:落語だったら(古今亭)志ん生、(三遊亭)圓生、(桂)文楽といった古典の話で盛り上がるという時代も、僕は通過してきましたからね。その一方で、漫才ブームのときには、テレビのお笑い番組で熱狂的にウケている漫才やコントの間に出ていかなきゃならなかった。「着物を着たやつが出てきた」って感じですよ。そういうなかで、どうやって客を笑わせるのかと考えて闘ってきた。若い人たちも、そうした場でやってみると、物の見方も変わると思う。