落語家の柳家喬太郎さんは、三遊亭円丈さんの「グリコ少年」を聞いて衝撃を受けたという。先輩たちが闘う姿を見て育ち、自らを「円丈チルドレン」だと語る。
【写真】「炎上まつり」で、円丈さんの「わからない」を語る喬太郎さん
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柳家喬太郎:僕は円丈師匠の影響で、噺家になったようなものです。大学時代は落研に入っていて、円丈師匠の高座をテレビや寄席で拝見して、ラジオで聞いて。自分でもつくりたくて、学生落語の大会で自作の落語が賞をもらった……それがなかったら、噺家になろうと思っていなかったでしょうね 。
三遊亭円丈:そういう人は本当に少ないんだよ。
──円丈師匠の新作のどんなところに惹かれたんですか?
喬太郎:それまで子供ながらに聞いていた新作落語のイメージが、ガラガラと崩れましたよね。僕は高校の時に、円丈師匠の「グリコ少年」を花王名人劇場で拝見して。もう、衝撃などという言葉では言い表せないくらいの驚きですよ。それからテレビ・ラジオはもちろん、寄席でも拝見しました。
円丈:そうだったの。
喬太郎:その後、(柳家)さん喬のところへ入ったんですが、初めから古典と新作の区別なく、両方やりたいと思っていました。うちの師匠も「円丈師匠の会には前座で出ていい」と言ってくれて。(三遊亭)白鳥兄さんや(林家)彦いちさんも一緒でしたね。
円丈:新作をやりたいという人は少なかったからね。これぞと思う人にはそっと肩に手を置いて、「君は新作に向いてるよ」と、声をかけてね(笑)。
喬太郎:円丈師匠や(柳家)小ゑん師匠が「少しでも新作をつくる気があるんだったら出てみないか」と、言ってくださった。
円丈:新作をつくるには才能が必要で、才能がある人はそもそも少ない。ない人はゼロなんだから。つくれる人のなかでも「この人はいいな」と思う人はもっと少なくて、さらに稀な人がこちらにお座りになっている。
喬太郎:師匠のおかげですよ。当時は今では意外な人、(古今亭)菊之丞くんなんかも一度、新作をつくっていましたね。