自叙伝『徳川おてんば姫』を出版、話題になった直後に亡くなった、井手久美子さん。過去を振り返らず、苦労も面白がれる、花のような人だった。
【松平康愛さんと結婚した1941年に撮影した久美子さんの写真】
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6月30日、自叙伝『徳川おてんば姫』を上梓したばかりの井手久美子さんを千葉のマンションに訪ねた。30年ぶりにお会いした久美子さんは目を閉じていたけれど、口元は楽しそうにほほ笑んでいて、声をかけると反応があった。
「ちゃんと聞こえていますよ」と、長男の純さん。「手をとってください」との純さんの言葉に、そっと触れると、白くて、驚くほどなめらかだった。徳川慶喜につながる長い歴史が、その手のなかにあるように思えた。
6月13日、「徳川慶喜の孫が95歳で作家デビュー」というニュースが流れてきたときは驚いた。というのも、私は学生時代、久美子さんのつれあいの病院、高松宮邸の向かいにあった井手医院で受付のアルバイトをしていたからだ。東京都文京区に住んでいた私に、「あら、私も小石川のあたりで育ったのよ」と、嬉しそうに久美子さんは話してくれた。「兄と一緒に、よく馬に乗ったの」と続ける。
夫妻は年に2回ほど、学生のアルバイト全員を招いて食事会を開いてくれた。学生に対しても朗らかに接する、花のような人だった。
ニュースを知り、アルバイトのことをツイートしたところ、版元である東京キララ社の担当編集者が連絡をくれ、お見舞いに伺うことになったのだ。
徳川慶喜の5番目の孫だった久美子さんの次姉は故高松宮喜久子妃。すぐ上の姉・故榊原喜佐子さんは『徳川慶喜家の子ども部屋』などの著作でも知られている。久美子さんは、徳川慶喜の屋敷があった、小石川区小日向第六天町(現在の文京区春日2丁目)、通称「第六天」で生まれ育った。3400坪の敷地に、建物だけで1300坪。常時50人あまりの人が住むお屋敷で、まさに「お姫様」として暮らした。喜佐子さんと、男の子のように庭中を駆け回り木登りをするおてんばだったそうだ。