その後、ボクは、短大に入り、大学に編入。社会福祉学科で「保育士」を目指すことにした。昔から、ボクは子どもと遊んだりするのが大好きだったし、当時、読んでいた「赤ちゃんと僕」という漫画の影響も大きかった。勉強と並行して、ボランティアサークルにも入って、障害者施設で、子どもたちと一緒に遊んだり、勉強をみたり、草むしりをするなどの活動もした。子どもたちと接していると、なんともいえない達成感と充実感があったのを覚えている。非行や生活上の問題を抱えた子どもたちの自立を支援する「児童自立支援施設」へ実習に行ったこともある。すごく勉強になることばかりで、やりがいも感じていた。ただ、この実習の中で、ボクが子どもたちに、歌を披露する授業があったんだけど、そこでの経験が、アイドルに本格的に憧れるきっかけになった。授業で歌ったのは「残酷な天使のテーゼ」。ボクの歌を聴いてくれた子どもたちがすごく喜んでくれて、それがめちゃくちゃうれしかったんだよね。こんなふうに、みんなを感動させるような存在になりたい、そう思った。

 そこからの話は、冒頭で伝えた通り。松竹芸能の「アイドル部」のオーディションに行って、気づいたら、団長とHIRO君を紹介され、今にいたる(笑)。まさか、自分が芸人をやることになるなんて、当時の自分を振り返ると、想像もできないよ。

■保育士は向いてなかった

 保育士の夢は、途中であきらめてしまったんだけど、芸人になった後、NHKの番組のロケで、保育士を体験させてもらう機会が一度だけあった。ある保育園にボクが新人の保育士として数日間勤務する、そんな番組だった。自分が本気で目指した職業だったから、楽しみにしていたんだけど、リアルな現場は想像以上に大変だった。まず、あれだけの人数の子どもたちを一度に見るのは、ほんとうに難しかった。それに、ロケが行われたのは、ちょうど東日本大震災が発生したころで、まだ余震もたびたび起きていたような状況だったから、怖がる子どもたちがたくさんいたんだよね。中には、あまり状況を理解していなくて、そんな状況をふざけてしまう子どもたちも何人かいたの。保育士として、しっかりと怒らないといけない場面も何度かあったのに、ボクは「嫌われたくない」って気持ちが先行して、まったく何もできなかった。

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