政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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米韓合同軍事演習の中止からわかるのは、演習の永続的な中止、在韓米軍の縮小が米国側から一方的に強行される可能性もゼロではないことです。
トランプイズムがあるとすれば、徹底した米国ファースト、つまりディール(取引)によるプラスとマイナスがすべての判断の基準になります。今後、オーバーストレッチした米国の海外の基地もこの基準があてはまるでしょう。これまで在韓米軍と在日米軍とは相互補完的な役割を担っていました。在韓米軍の縮小ともなれば日米安保の重要な補完部分が縮小し、日米同盟を基軸にそれ以外は派生的な問題だと考える戦後日本の安全保障の基本戦略が揺らぎかねません。
戦後日本の自民党を中心とする保守政治というのは、「日米安保」と「55年体制」の合作でした。戦後日本の保守政治の半分を構成していたと言っても過言ではない米国が、米国ファーストを続けることこそが自民党を中心とする保守政治の最大の危機だと言えます。今は自民党の一強多弱と言われていますが、55年体制の中で自民党以外が陥没しただけの話で、日本の保守政治は日米安保とセットになって初めて作動していました。
同盟諸国を米国が守るという前提が崩れているにもかかわらず、冷戦の思考から日本は脱却できていません。冷戦というのは、「西側」から見ると、自由主義的な価値を共有する諸国家の、米国をハブとする同盟を前提とする成り立ちです。それによって「友・敵」関係の線引きが行われていました。トランプイズムの世界では、こうした線引きが意味をなさず、その時々の利害関心に応じて二国間関係を調整していく「猫の目」外交の時代が到来するかもしれません。その時に、ある特定の一国だけに自らの安全保障や平和の最後の決め球を預けることは意味をなしません。
北朝鮮の問題は、日本が国際情勢の変化に対応できていないことを露呈させ、冷戦型の自由主義陣営や西側諸国という概念が事実上フィクションになりつつあるということを我々に知らしめる、大きなきっかけになりました。そこをしっかり押さえて、これからの世界を見ていかなければいけません。
※AERA 2018年7月9日号