振り返れば、日本におけるジャガイモスナックたるポテトチップスは、もともと「酒のつまみ」として濱田音四郎(国産ポテトチップスの生みの親とされる人物)が売り出した。それを「子供のおやつ」として広めたのが湖池屋だったが、その湖池屋が「酒のつまみ」に自ら回帰したのが「カラムーチョ」だった。しかも、ジャガイモ原料ではあるものの、形状はチップスではなくスティック。「要するに、あらゆる面でポテトチップスっぽく見せたくなかった。『ポテトチップスだけど、ポテトチップスじゃないもの』を作ろうと思ったんです。カルビーのポテトチップスと比較されないように」(小池孝)

商品名は、辛い+ムーチョ(Mucho /スペイン語で「たくさん」の意)で「カラムーチョ」に決まる。

「メキシコ風の商品名にしようという話は早い段階から決まっていました。その後デザイナーがいろいろと候補を考えてくれた中で、一番飛び抜けたものを選んだんです。『チリ◯◯』みたいなもっと無難な候補もあったけど、どうせなら突き抜けようと。パッケージに書かれている『こんなに辛くてインカ帝国』というダジャレも、会議で盛り上がった勢いで決まりました。今の湖池屋がやっていることと一緒ですが、とにかく特徴を出さないと埋もれてしまうので」(小池孝)

ところが、いざ発売してみると、一番の取引先だったスーパーマーケットが取り扱ってくれない。理由は「お客さんからクレームが来るから」。辛いものはタブーの時代だった。

「辛いものを食べると頭が悪くなる、なんて平気で言われていた時代です。子供が食べたらどうするんだって。そもそも子供は狙っていない、おつまみ売り場で売りましょうと提案したけど、聞いてくれない」(小池孝)

数カ月間は全然売れない。仕方なく、当時店舗数を増やし始めていたコンビニエンスストアへ商談に行くと、取り扱ってくれた。

「コンビニは酒屋さんから転向した人が多かったので、『うちの店のお客さんだったら、こういうのが売れるかも』と。おつまみとして見てくれた」(小池孝)

これが見事にはまる。

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コンビニで大躍進、年商は倍増