旨味のある辛さで、酒のつまみとしても親しまれている「カラムーチョ」。今でこそ湖池屋の主力商品の一つだが、1984年に発売を開始した当初はスーパーで置いてもらえず、苦戦を強いられたという。激辛ブームの火付け役として躍進を遂げるまでに、どのような経緯を辿ったのか。
朝日新書『ポテトチップスと日本人 ――人生に寄り添う国民食の誕生』(稲田豊史 著)から一部を抜粋・編集して紹介する。
1980~90年代は、マス消費者たる団塊ジュニアの嗜好を「微に入り細を穿って把握し」「痒いところに手が届く」ポテトチップス商品が、1袋百数十円という安価で、彼らの成長に合わせて途切れなく提供された時期である。
カルビー3代目社長の松尾雅彦が、「多様な味替わり商品」の例として挙げたのが、湖池屋が1984年に発売した「カラムーチョ」だ。「カラムーチョ」は本書の定義に従えばポテトチップスではなく、短冊型にカットしたポテトスナック(シューストリングポテト)ではあるが、ポテトチップス業界に与えた影響が非常に大きいため、あえて取り上げることにする。なお「カラムーチョ」は1986年にチップスタイプが発売された。
先述したように、カルビー参入年に集計された1975年の国内ポテトチップス市場シェアは、湖池屋が27.6%で1位。しかし9年後の1984年にはカルビーが79.9%と圧倒的なシェアトップとなり、湖池屋は9.0%と激減。湖池屋としては、このまま同じ戦い方をしていてはいずれ淘汰されてしまう。
そんな折、アメリカへ視察旅行に行った湖池屋の社員が、エスニック料理のチリ味が現地で流行っているのを知り、ポテトチップスに生かせば売れるのではないかと考えた。そこで湖池屋の出した結論が「全部、カルビーの逆を行こう」だった。
「当時ポテトチップスのメインターゲットは女性と子供だったので、逆に大人の男性に食べてもらうべく、辛い味付けで行こうと決めました。売り場もお菓子売り場でなくておつまみ売り場。カットは薄切りスライスではなく、おつまみ感のあるスティックタイプ。値段も、150円でさえ高いと言われていた中で強気の200円。ただ、おつまみであるさきイカは300円くらいしていたので、それと比べれば別に高くない」(湖池屋会長・小池孝)