平昌五輪では惜しくも5位入賞となったスノーボード女子アルペン・竹内智香選手が「AERA」で連載する「黄金色へのシュプール」をお届けします。長野五輪を観て感動し、本格的に競技をスタートした竹内選手の日々の様子や思いをお伝えします。
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先日、今季のW杯最終戦を滑り終えました。その会場となったのは、2016年3月6日に私が転倒し、前十字靱帯を断裂したところでした。そして再建手術をしたのが3月18日。あれから、ちょうど2年が経ったのですね。時間の重さをあらためて感じるのはもちろんのこと、これまでの長いアスリート人生の中にはいろいろな出会いや転機が存在したんだということも、今回噛みしめることができました。何より、またその会場のスタート台に立てたことに、感謝しています。
出会いと転機。実は今回の平昌五輪直後にも、ある出来事がありました。
5位で終わったレースの翌日でした。私はある選手と会う約束をしていました。それは、オーストリア代表のクラウディア・リーグラー選手。彼女は44歳にして今回の五輪にも出場した、私も本当にリスペクトするアスリートで、私たちが製作しているスノーボードブランド“BLACK PEARL”の板を使ってくれてもいます。
五輪前から絶不調に陥っていた私を見て、彼女は常に前向きな言葉を投げかけてくれていました。「勝負は五輪だから、まだ大丈夫。トモカは大一番に強いんだから」と、背中を押してくれたんです。私とは反対に、彼女は五輪前は好調を維持していました。周囲はもちろんのこと、きっと彼女自身も自分にメダルの期待を持っていたはずです。
しかし、本番では予選のレースで転倒してしまい敗退してしまいました。その翌日に、彼女とお茶をしながら時間を過ごしたんです。あれだけ彼女の言葉に救われたのに、私はただ見つめ合って話を聞くことしかできなかった。ただ、期待していた大舞台で目標がかなわなかったつらさを誰よりも理解できたので、簡単に励ますことなんてできなかったのです。
やっぱり、この厳しさこそが五輪なんだって。それを身にしみて痛感できたことが、私の競技人生にとって大切な感情だったのです。だからこそ、目標に届かなかった今、これまで自分が戦ってきた舞台がどれほど難しく、厳しいところだったのかを再認識し、そこに身を置いてきた自分を、自分自身で認めようという思いになれました。
金メダルを取れなかった私の経験。そしてクラウディアの経験に触れたことが、私の糧になり、新たな転機にもなりました。(構成/西川結城)
※AERA 2018年4月9日号