懸念されるのは、彼の墓所が聖地化され、遺骨が教団に利用される可能性だ。なにしろ、教祖の髪の毛、風呂に入った水、血液まで売って金を稼いだ集団である。遺骨を“仏舎利”などと称して微量ずつ信者に分け、教祖に対する忠誠心を高めたり、金もうけに利用したりする事態は容易に想像し得る。
当局には、執行前にこのような問題についての対策は考えてもらいたい。
同一犯罪の共犯者は、同日執行するのがこれまでの慣例だが、オウム事件ではどうするのか。国内で死刑執行の施設を備えた刑事施設は7カ所ある。死刑囚の分散も始まり、物理的には同日執行は不可能というわけではない。
しかし、私はそれには反対だ。麻原と一緒に執行される弟子たちは、現在の信者にとってみれば、「尊師と一緒に転生」する殉教者になる。信者の忠誠心を高める物語となり、教団活動に利用されることが予想される。そうした弊害を避けるために、執行は、まず麻原一人を対象にすべきだ。
また、弟子だった者の中には、先の広瀬のように、深く悔悟し、自分が罪を犯すまでの過程を振り返って手記にまとめ、若い人たちに提供するなど、再発防止に協力する姿勢を見せている者もいる。そうした者たちは、刑の執行を急ぐより、証言者として、カルト研究やテロ対策のために活用していくほうが社会にプラスではないか。
それでも、恩赦にでもならない限り、弟子たちもいずれ執行ということになろう。オウムのために、また新たに人の命が失われる。それは、本当にやりきれない。(文中一部敬称略)(ジャーナリスト・江川紹子)
※AERA 2018年3月26日号