大久保洋子:島津は狐との縁も深いと伺っています。また、雨が降るとおめでたいこととして、「島津雨」とも言いますね。
島津義:文禄・慶長の役での窮地も、狐が救ってくれたという逸話が残っています。義弘公は伏見稲荷のご神体を持ち歩くようになりますが、関ケ原で逃げ延びる途中、大阪の船宿に預け、その後ご神体の行方はわからなくなったとされています。
川路利樹:川路は焼酎とかまぼこが大好きだったそうです。父と僕は酒は全く飲めないんですが、鹿児島県警の売店でしか買えない、「川路大警視」という焼酎があるんですよ。
島津久崇:龍馬は、やっぱり日本で初めて新婚旅行したことじゃないですか。先日、霧島に行く機会がありましたが、本当にいいところでした。
──皆さんの家で明治維新はどう語り継がれていますか。
大久保:自分が大久保の子孫であると、取りたてて両親や祖父母から聞かされた記憶はありません。以前は年に一度、大久保の亡くなった5月に、親族が集まる会がありましたが、静かで和やかだったことを覚えています。
川路:僕も明治維新や川路について、聞いたことはあまりありません。川路は近代警察制度の基礎をつくり、ガス灯を日本に取り入れました。祖母と一緒に銀座に行ったときに、「ガス灯は、川路大警視がパリから持ち帰ったんだよ」と聞いたことは、今でもよく覚えています。当時の東京は夜一人歩きができないほど治安が悪かったため、必要と考えたのでしょう。
坂本匡弘:龍馬は維新前に暗殺されてしまったけれど、大政奉還を終わらせたあとは、北海道に開拓に行くと書き残していました。だから、龍馬の長兄の後を継いだ直寛は、一族全員で北海道の北見に入植します。直寛はキリスト教に帰依し、北海道で布教した。監獄に慰問に行き、囚人からキリストの再来と言われたこともあるそうです。直寛の長男の直道は南満州鉄道に就職して、太平洋戦争前に戦争を避けるよう国に上申していたが聞き入れられず、軽井沢に引っ込んでしまう。その隣の別荘にいたのが、鳩山一郎でした。毎日酒を飲んで国や政治の話をして、のちにつくられたのが日本自由党です。