高度経済成長期、このような組織戦に強かった三菱が、三井に圧倒的な差をつけた。
帝国データバンクによると、「三菱広報委員会」の38の会員会社の従業員数合計は22万7347人で、売上合計は225兆6356億9千万円。「三井広報委員会」の25の会員会社の従業員数合計は10万5150人、売上合計は125兆7288億3900万円。「住友グループ広報委員会」に名を連ねる33社の従業員数合計は21万5391人、売上合計は216兆8486億8300万円(すべて2月28日現在)となっている。
今後、旧財閥系の企業集団はどうなっていくのか。2001年のさくら銀行と住友銀行の合併で三井住友銀行が生まれた際、三井グループと住友グループの統合の可能性がささやかれた。1900(明治33)年創業の信用調査会社、帝国データバンク東京支社情報部部長の赤間裕弥さんは、それに関しては「世界経済が今後様々な局面を迎える可能性があるため、はっきりとは申し上げられません」としながら、こう語る。
「個々の企業の判断として、企業集団という枠にとらわれない『緩やかなグループ化』が進むことはありうると思います。その目的は、企業グループの枠を脱却し、優れた人材やノウハウを共有化し、激動の世界経済の中で未来を見据えた策が進むとも考えられます」
『1868 明治が始まった年への旅』(時事通信社)で激動の1年を月ごとに追った歴史家・作家の加来耕三さんは、明治維新を「第一の開国」、終戦を「第二の開国」、そしてグローバル化が進む現在は「第三の開国」であると言う。
「第一の開国期といまと、実は何も変わっていない。これから先どんどん階級社会化していく。江戸時代と同じです」(加来さん)
西郷隆盛は西南戦争の前に、明治維新にはもうひとつのやり方があると言ったという。具体的な内容は語っていないが、ヒントはある。
「地方分権です」(同)
実際にそれを主張したのが農商務次官をつとめた薩摩藩出身の前田正名だった。前田はフランスに私費留学し、普仏戦争からパリ・コミューンの混乱の後、フランスが農業で再興するのを目撃していた。帰国後、県ごとの特産品やその販売方法などをまとめたマニフェスト『興業意見』(全30巻)を残した。
「実体験を伴わない空想的なことを言っても身につかない。当時の政治家や官僚は欧米に渡って、政府の情報やまだ新聞に書かれていない情報を集めていた。まだ確定していない生の情報を、いかに解析できるか。そのために歴史が役に立つのです」
(編集部・小柳暁子)
※AERA 2018年3月12日号