旧財閥系企業は、薄まったとはいえ、その歴史から育まれた特徴ある社風を保持しているようだ。企業集団を研究する菊地浩之さんは言う。
「三菱と住友は、組織を大事にするところは似ています。ただ、三菱は組織序列が厳格なのに対して、住友は各社同列なので、何かあると主導権争いですぐもめます。一方、三井は組織としての一体感がありません。三菱と住友は財閥本社の部門を分離して企業を設立しましたが、三井は既存の独立企業の上に財閥本社を設置したからです」
三井と住友が江戸時代からの豪商を前身に持つのに対して、三菱は土佐の下級士族出身の岩崎弥太郎が創業した。
「三井や住友は商人なのでリスクを取りたがらない。しかし三菱は『国のため』というナショナリズムもあり、リスクを取ることができた」
しかし同じ商人出身でも、三井と住友では創業家との関係に違いがある。三井は創業家が商売に口を出すが、住友は口を出さない。だから住友は創業家のために頑張ろうという気になったという。それは戦後の財閥解体の時に如実に表れた。
「三井一族の扱いに手を焼いていた三井はすんなり解体に応じ、再結集もなかなかしませんでした。一方住友は財閥解体で『住友家に恥をかかせないように』と創業家を守りました」
人材育成の方法も違う。製造業がメインの三菱と住友は、しっかりと教育するが、三井は「教育」より「抜擢(ばってき)」に主軸をおいた。
「住友は『8人野球、3人麻雀』といって少数精鋭。教育をしっかりして住友カラーに染めていく。三井は逆で、『ビジネスセンスなんて教えられるものではない。それより筋のいい者を見つけて抜擢したほうが合理的だ』という考えです」
現場に権限を移譲し、信賞必罰でふるいにかける。集団戦より個人戦。「人の三井」といわれる人材発掘術が、三井の強さの源泉だった。
他方、「組織の三菱」はどうか。
「財閥解体で各社は独立した企業になりましたが、三菱は各社の首脳同士に知人や肉親が多く、自然と再結集しました。さらにグループで主導権を握った三菱商事トップが『海外からは三菱が単一の巨大グループと錯覚されたほうが都合がよい』と、関係強化を図りました。ややもすれば排他的ともいえるようなグループ結集によって、ますます他社との差別化に成功し、三菱ブランドが向上していったのです」(菊地さん)