こうした白河踊りがつなぐ縁を強め、交流を深めようと、昨年12月に白河市の鈴木和夫市長が長州藩のあった山口県萩市を訪ね、藤道健二市長を表敬。今年7月に白河市で開く両軍戦死者の合同慰霊祭に萩市の関係者を招待することなどで合意した。
白河市の白河戊辰150周年記念事業実行委員会の教育部会長を務める佐川理沙さん(33)は期待を込める。
「イベントを通じて他地域との交流をさらに広げられれば」
藩校の学びを伝える博物館「会津藩校日新館」の館長で、いまだに薩長への恨みはあると語っていた宗像精(むなかたただし)さん(85)は、昨年11月下旬、吉田松陰をまつる萩市の松陰神社で「戊辰150年の会津人の思い」と題して、初めて講演した。
宗像さんの萩講演を実現させたのは、萩市の市民団体「長州と会津の友好を考える会」。代表で医師の山本貞寿(さだひさ)さん(78)によれば、長州藩士も幕末、池田屋事件(1864年)や蛤御門の変(同年)などで会津藩と配下の新選組によって多くが命を落とした。だが、長州人は「会津憎し」とは言わない。会津と長州のこの心情の落差は何か──。山本さんは宗像さんに「生の声を聞かせてほしい」と半年がかりで呼びかけた。
宗像さんは、満員の萩市民ら約150人を前に身ぶり手ぶりを交え、思いを語った。
「会津だけが長く賊軍の汚名を着せられた。そういう歴史の事実を消すことはできません。歴史をなかったことにして握手する仲直りはできない。しかし、同じ日本人ですから『敵』だとは考えていません。日本が世界のために何に貢献すべきか、日本人として何をなすべきか、ともに考えて進みましょう」
本当の“雪解け”は10 年先かもしれないし、明日かもしれない。(編集部・野村昌二、渡辺豪)
※AERA 2018年3月12日号