当時、家族は困難の中にありました。僕が中学2年生の頃から父親が若年性認知症などを患っていた。塾でバリバリ教えている父親と、家庭内で全く別の父親がいるのです。冒険心のある人生を送りたいと中学時代には思っていましたが、高校時代にはすでに一家を背負っていかなければというプレッシャーがありました。それでも「絶対に起業して世界を股にかけて働く。何があっても押しつぶされたりしないぞ」と自分に言い聞かせていました。
僕が大学3年の時に父親が階段から転落して脳挫傷を起こし、その後10年に及ぶ介護が始まります。アドバイスをしてくれる人もいないまま、突然塾の経営を引き継がなければならなくなり、結局塾を閉めざるをえなかった経験から、中小企業における人材の重要性を痛感した。それが最終的にはサーキュレーションの起業につながりました。(ライター・羽根田真智)
※AERA 2017年11月6日号より抜粋