自民党の初代幹事長となったのは日本民主党出身の岸信介氏であり、今でも自民党綱領は憲法改正が党是になっている。これは、「保守の健全な流れから考えれば、極めて異質」。自ら手を挙げて、85年の綱領改正時にこれを削ろうとしたのが田中氏だった。
「保守本流は言論の自由を守り、経済の規模より暮らし向きに目を向けてきた。72年に政府見解を出した田中角栄の憲法観と歴史認識は、後藤田正晴氏や細川氏が強固に引き継いできた」
だが、2000年、小渕恵三元首相や竹下登元首相、二階堂進氏が相次いで亡くなった。加藤の乱が起こり、06年に橋本龍太郎氏も死去するなどして、保守本流は急速に先細った。一方、伏流水化していた岸信介思想の自民党本流が、岸氏の孫である安倍晋三首相の登場により大きな流れになってきた。
「保守本流の健全な流れを現代にふさわしい形で取り戻すことが、いまの政治に課せられた最大の仕事でしょう」
カギを握るのは、野党第1党となった立憲民主党を率いる枝野幸男氏だと言う。
「リベラル最後の砦(とりで)」とも言われた枝野氏だが、枝野氏は自身を「保守」「リベラル保守」と位置付ける発言をしている。
「『左派的リベラル』と目されることのリスクも、現在の陣容も知っているから、焦るのでしょう。その焦りは正しい。無所属で立候補した人たちに指導性は期待できない。権力を得た時に政治哲学や犠牲心がないと、めちゃくちゃな事態になると民主党政権の失態でわかっている。彼は今後、そういったものとも闘っていくことになるでしょう」
(編集部・熊澤志保)
※AERA 2017年11月6日号