自分の現状を確認して修正する作業は、英語に関しても繰り返し行ったという。
「自分の会話を録音して聞くと、自分が自覚している発音とは異なる発声をしていたりする。それで気づいたのが、日本人の僕が英語っぽく話そうとすると、かえって変な発音になり、余計に相手に伝わらないということでした。まずは伝えることが大事だから、日本なまりの『Japanglish』でいい。世界で一番話されている英語はブロークンイングリッシュだと考えれば、英語っぽい発音へのこだわりがなくなります。僕の話す英語だから『Senglish』でいいんだと考えて誠実に話すうちに、少しずつ会話もスムーズになってきました」
ジャズは専門用語が多いため、リスニングも苦労した。授業でわからない単語に出合うとノートに書き留め、後で辞書を引いて調べることを繰り返した。
「dissonant(不協和音の)がどうしてもわからず、とりあえずディサナントとカタカナでノートに書いたこともあります。あとは、授業の合間に先生をつかまえて聞くことも度々でした。アメリカでは、自分から聞きにいく姿勢が必要です。プライドが邪魔してそれができないと、アメリカ社会の中に入っていけないし、英語も話せないままになってしまいます」
練習のしすぎで肩を痛めるなど大学生活は山あり谷ありだったものの、ポップスのクセは少しずつとれ、ジャズの血が流れるようになっていった。J-POP好きなアメリカ人に誘われ、総勢15人のビッグバンドに加わって日本のヒットナンバーを演奏するなど、学外での活動も増えていった。
「3年目くらいから、心地よく演奏できるようになりました。ジャズにとらわれすぎていた自分から解放され、音楽を楽しめるようになっていました」
大学を卒業しても、音楽だけで生活できる人は3%と言われる厳しい世界。4年半かけ51歳で大学を卒業した大江さんは、ニューヨークを拠点にジャズピアニストとして活動する道を選ぶ。卒業と同時にレコード会社を立ち上げ、アルバム「Boys Mature Slow(男子成熟するには時間を要す)」をリリースした。
「作曲やアレンジ、演奏、プロデュースからCDの発送まで、すべて自分ひとりで行っています。日本ではお膳立てしてもらうことが当たり前だったので最初は戸惑いましたが、今では慣れました。仕事を始めて、アメリカ社会にグイグイ入りこんで意思表示せざるを得なくなり、英語力も上がったと思います」
いまだに相手から「例えが多すぎてまどろっこしい」「ストレートに言ってくれ」と言われることもあると笑う大江さん。心がけているのは、はっきりと話すことだ。
「例えばギャラが振り込まれなくて、知人から経理担当者に聞いてもらいたいとき。日本的に『言いにくいんだけれど……』とか『君の担当部署じゃないけれど……』なんて言ってると『じゃあ僕は何もしないよ』って言われちゃう。だから『ひとつお願いがある。こういうことがあった。助けてくれない?』と、とにかくはっきり言う。そのほうが良い結果につながることがわかってきました」
現在はジャズピアニストとして全米各地を中心に、ヨーロッパや南米、日本でもライブ活動を展開している。自身の英語に手応えを感じたのも、ライブでの経験からだ。