日本でシンガー・ソングライターとして活躍していた47歳のときに、ジャズピアニストを目指してニューヨークにジャズ留学した大江千里さん。日本でのキャリアをすべて捨てて向かったニューヨークでどのように学び、何を得たのか。『AERA English2023』(朝日新聞出版)では、16年にわたるアメリカでの日々や、英語との向き合い方について聞いた。
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ポップミュージシャンとしての退路を断ち、47歳でニューヨークのジャズの名門大学The New School for Jazz and Contemporary Musicに留学した大江さん。米国に住んだ経験はあったものの、英語力に自信はなかったという。
「30歳の頃に、アメリカでレコーディングする機会がありました。そのとき、通訳を通さずにやりとりできたらもっと細かいニュアンスが伝わって、自分の思いが音に出るのにと悔しくて。そこでニューヨークにアパートを借りて、4年間くらい行ったり来たりしていました。語学学校にも通いましたが、会話で意思を伝えられるレベルには達しませんでしたね。日本に戻ってからも、NHKのラジオ英会話などで勉強は続けていました」
不安を抱えつつ気合で向かったというニューヨークでは、親子ほど年の離れた同級生たちとともにジャズを学ぶ日々が始まった。
「まず、最初の授業から英語がわからない。ニューヨークの20歳が話す英語は、日本で勉強してきた英語とは全然違う。先生もミュージシャンなので、“How are you?”が“Yo Yo Yo!”だったり」
それまで築いてきたキャリアを捨てて、一からジャズを学ぶという厳しい道を選んだ背景には、若い頃から憧れ続けたジャズへの思いがあった。
「ジャズに出合ったのは15歳の頃。それまでに触れたことのない世界観にインスパイアされて、中古レコードを買って聴き込み、ジャズ教則本で勉強しました。一方でバンドを組んでオリジナルの作詞作曲で活動していたことから、ポップミュージシャンとしてメジャーデビューが決まり、ジャズはいったん脇に置いたんです。チャンスがあればジャズはいつでもできるだろうと思っているうちに、いつのまにか40代後半になっていました。時間には限りがあるし、人生は1回きり。そろそろやり残したジャズを学ぶときだと思いました」
大学では、身体にしみついたポップスのクセが抜けず、早々に壁にぶつかった。ジャズの家庭教師には「あなたの音楽は魅力的だけど、ジャズじゃない。血を全部入れ替えないと」と言われた。大学の授業でアンサンブルの演奏中、メンバーに「このクラスに1人だけジャズができていない人がいる」と言われたこともある。
「なんとかしようと焦り、練習に明け暮れました。ポップスのクセを直すために、自分のピアノを演奏する姿を録画して、どこが本物のジャズに聴こえないのか検証したりもしましたね」