ドイツの連邦議会選挙が終わった。メルケル首相の率いる中道右派のキリスト教民主・社会同盟が得票率33%と党勢にかげりが出た。中道左派の社会民主党は20.5%と大きく得票を減らし、それに対して極右の「ドイツのための選択肢」(AfD)が12.6%と得票率を倍増させ、連邦議会に初議席を獲得した。メルケル政権は4期目に入るが、政権運営は難航するだろうというのが大方の見通しである。
AfDは多文化共生をめざすメルケルの路線を批判し、反イスラムの立場を明らかにし、厳しい難民抑制策とナチスへの親和的な姿勢をアピールして排外主義的傾向の強い保守層を取り込んだ。最大の支持層は中年男性。労働者の20%がAfDを選んだ。何より興味深いのは旧東独地域で21.5%を取ったことだ(旧西独では半分の11%)。
なぜ旧東独の市民たちがナチスに対して宥和(ゆうわ)的な政党を支持することがありうるのか。筋の通らない話に思えるが、それには理由がある。
東ドイツはナチスドイツの戦争犯罪について謝罪したことがない。なぜなら、東ドイツはナチスドイツと戦って勝利した誇り高いドイツ人たちが建国した国だという「お話」になっていたからである。東ドイツは主観的には「戦勝国」なのである。だから、敵であるナチスの非をなじることはあっても、ナチスの戦争犯罪について恥じ入ったり、反省したりする義務はない。
ナチスドイツの所業を「自国の恥辱」とみなす歴史教育を受けなかった人たちが1990年に西ドイツと一つになった。
「ナチスドイツの戦争犯罪について加害者責任を感じる必要はない」と教えられてきた1600万人が再統一されたドイツの国民に加わったのである。
ナチスと戦ったはずの人々がたやすくナチスに宥和的になりうるというこの逆説的事態から私たちが学びうる歴史的教訓があるとすれば、一つは「勝利」から得られる教訓は「敗北」から得られるものほど有用ではないということ。
そしてもう一つは「多幸感」とともに封印された記憶は「恥辱」とともに身に刻まれた記憶よりもはやく忘れ去られるということである。
※AERA 2017年10月9日号