ぼくたちはよく議論や討論をしますが、どちらが正しいかを判断する前に、ちゃんと同軸上での対比になっているのか、そもそも本当に対立しているのかを確認する必要があります。そして、もしそれが正当な議論なのであれば、意見が割れている時点で、どちらの意見にもそれぞれにとっての道理や利益があるはずです。ならば片方の意見だけを採用することが「正解」であるはずはありません。 

 西洋哲学では、対立する二つの意見をより高い次元で統合し調和させる方法が模索されてきました。反対意見や否定された意見を切り捨てずにいったん置いておいて、それらを活かすための新たな視点や秩序を考えていくんですね。

 この方法は「弁証法」といって、ソクラテスの問答法から発展した伝統的リベラルアーツの一つです。 

 たとえば、1時間遊びたいという子どもと、1時間勉強しなさいという親の意見が対立していたとします。どちらの意見も切り捨てないためにはどうしたらいいでしょうか?30分ずつにするというものや、もう1時間捻出してどちらもかなえるというのは弁証法的な解決とはいえません。

 勉強になる遊びを1時間する、というのが弁証法的なアイデアです。孔子もアリストテレスも<中庸>を大事にしました。議論や討論に限らず、すべてにおいて極端にかたよるのはよくないというんですね。

<中庸>を目指したりバランスを取ったり、矛盾を乗り越えるためには、両極を認識する必要があります。先の例なら、勉強と遊びの両方についてよく知る必要があるわけです。

矢萩邦彦(やはぎ・くにひこ)/「知窓学舎」塾長、実践教育ジャーナリスト、多摩大学大学院客員教授。大手予備校などで中学受験の講師として20年勤めた後、2014年「探究×受験」を実践する統合型学習塾「知窓学舎」を創設。実際に中学・高校や大学院で行っている「リベラルアーツ」の授業をベースにした『自分で考える力を鍛える 正解のない教室』(朝日新聞出版)を3月20日に発売

(構成 教育エディター 江口祐子/生活・文化編集部)