東京・銀座のにぎわいに、新たな文化の殿堂が生まれた。その名は、観世能楽堂。世阿弥から連なる日本の伝統文化の系譜を、その歴史をどう紡いでいくのだろう。
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東京・銀座の人の流れが変わった。今年4月20日、松坂屋銀座店の跡地に、「GINZA SIX」がオープンしたからだ。百貨店の看板は姿を消し、オフィスや高級ブランドなどの大規模複合施設として新装となった、銀座の新しい顔だ。
オープン時、人波の中にプラカードを掲げたはかま姿の男性たちがいた。その案内に従って建物の裏側へと行く人々は、エスカレーターで地下3階へと吸い込まれていった。ここに、能楽観世流の「二十五世観世左近記念観世能楽堂」がある。施設のオープンに合わせて11日間にわたって「観世能楽堂開場記念公演」が開催された。
●観世流ゆかりの銀座で
ロビーにはたくさんの花や盛装の観客があふれ、黒紋付き姿の能楽師たちが並んで出迎えた。外国人客の多い上のフロアとは違い、純日本的な光景である。集まったのは能楽関係者、演劇評論家、歌舞伎俳優や日本舞踊家、マスコミ関係者、興行会社のほか、再開発事業に関わった人々と思われるダークスーツ姿も目についた。
初日の演目は二十六世観世宗家・観世清和による「翁」に始まり、各流派の家元たちの仕舞や梅若玄祥の舞囃子「鶴亀」が続き、観世銕之丞による「高砂」という祝賀の演目が上演された。終演後は開場を祝う人々のさんざめきがあふれ、誰もが銀座に能楽堂がやってきたことを喜んでいるようだった。
そもそも銀座は、観世流ゆかりの地である。寛永10(1633)年、十世大夫の観世重成が3代将軍徳川家光から現在の銀座2丁目付近に約500坪の敷地を拝領し、屋敷や稽古場、蔵などがつくられた。その後、明治維新で拝領地を返すまで本拠地としていた。その点では「銀座にやってきた」というより、「還ってきた」というほうが正しいだろう。銀座には客席数120の小さな「銀座能楽堂」はあったが、小規模な会が開かれるだけで、大掛かりな公演から遠ざかっていた。
新しい観世能楽堂内部は客席数480。東京都渋谷区松濤にあった旧・観世能楽堂の能舞台が移築されているが、それ以外は新たに設計された。ふんだんに木が使われた内装、最新の音響装置、車椅子や杖を使う観客に配慮されたなだらかなスロープ。舞台が見やすいよう交互にずらし、大柄な現代人が楽に座れるゆとりのある客席。今の事情に合わせた工夫が凝らされている。
ロビーからはエスカレーターのある広いアプローチが見え、ビルの地下でも息苦しい感じがしない。ビルは今のところ、地下鉄銀座駅を地上に上がって1階から入る形を取っているが、近い将来には地下道と地下入り口が結ばれて、雨の日でも濡れずに来られるという。