「一昔前だったら、考えられない選択だったかもしれませんが、今は学校同士の交流も盛んで、両者の融合が進んでいます。教育や様式の違いが、それほど大きな問題ではなくなっているのです。そう考える私の選択を受け入れてくれたのは、まさにボリショイ流の大らかさですが」

 理知的なまなざしで語るスミルノワは、ロシア国内でも進む“グローバル化”の象徴といえる。

 一方、舞台でパートナーを務めるチュージンは、ノボシビルスク・バレエ学校を卒業後、「ユニバーサル・バレエ」(韓国)や「チューリヒ・バレエ」(スイス)でも踊った、文字通りの国際派だ。

「世界は広いけれど、ボリショイはやはり唯一無二のバレエ団。巨大な劇場の建物もさることながら、『スパルタクス』『ファラオの娘』など、他の劇場にないオリジナルの作品を持っているし、ダンサーなら誰もが目指す場所でしょう」

 スミルノワとは対照的に、瞳にやんちゃさを宿しながら、チュージンは誇らしげに語る。

●世界に知れ渡る存在感

 売り出し中の2人をボリショイと結びつけたのは、現バレエ監督マハール・ワジーエフの前任、セルゲイ・フィーリンだった。フィーリンの名前は、2013年に起こった襲撃事件の被害で、バレエファン以外にも知れ渡ったが、ダンサー時代は端正な正統派として、来日公演の常連メンバーでもあった。

「フィーリンは、今の時代にバレエ団がどうあるべきか、真剣に考えていた人です。プロ1年目のダンサーが、どういうステップを踏んで次の段階に行くべきかについても、しっかりとした論理を持っていて、私はその言葉に納得して、ボリショイを選んだのです」(スミルノワ)

 モスクワ音楽劇場に在籍していたチュージンを、ボリショイに引き抜いたのもフィーリン。

「彼は『白鳥の湖』といった古典に加えて、コンテンポラリーにも積極的に取り組んでいた。刷新がなければ伝統も維持できません」(チュージン)

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