現在のスターの背後には、連綿と続くダンサーたちの連なりがあり、偉大なる芸術監督の系譜が同時に存在する。過去の伝統と、未来をつくる「今」とのせめぎあいの中で、ロシアバレエの神髄は磨かれてきたのである。

 華やかなボリショイの歴史は、ロシアの近現代史と密接に関わっている。

 創設時は富裕な伯爵家における私立劇場だったが、1842年に国立の帝室劇場に。それでも20世紀の初頭までは、権威の重みはマリインスキーが圧倒的に上だった。

 1917年のロシア革命をきっかけに、ロシアバレエの勢力図には変化が起きる。ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立し、首都がモスクワに移され、マリーナ・セミョーノワ、ガリーナ・ウラーノワら、マリインスキーの名だたるダンサーや振付家が、相次いでボリショイに移籍した。

 ソ連指導者のヨシフ・スターリンがバレエ好きだったことともあいまって、ボリショイには政府の予算が優先的に使われた。やがて、その存在感は世界中に知れ渡っていく。

「起伏あるストーリー、ロシア文学に通じる情緒と情動、アクロバティックな超絶技巧……ボリショイは、それらを前面に打ち出して、ロシアバレエの正統を塗り替えていきました」

 バレエ研究者の赤尾雄人さんは、社会主義体制の下で花開いた特色を解説する。

 国内純血主義にもとづき、選び抜かれ、鍛え抜かれたダンサーたちの踊りは、国民の情熱を鼓舞した。同時に劇場は、外国からの要人をもてなす政治の場として、また重要な外貨獲得の手段として機能するようになる。

●超一流のダンサーたち

 第2次大戦後のボリショイからは、マイヤ・プリセツカヤ、エカテリーナ・マクシーモワ、ウラジーミル・ワシーリエフといったダンサーたちがキラ星のように登場した。57年、初来日公演で踊ったオリガ・レペシンスカヤは当時すでに伝説のダンサーとして名高く、75年の来日公演に出演したプリセツカヤは、20世紀最高のプリマと称された。超一流のダンサーたちは、ソ連の国威を担って、海外で踊った。

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