どん底の時期に、一つだけ失わなかった情熱があるという(※写真はイメージ)
どん底の時期に、一つだけ失わなかった情熱があるという(※写真はイメージ)
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 地に落ちたイメージを回復させて、業績も上向かせる……。これまで、多くの企業が直面し、その実現に腐心してきた。これは、個人の場合でも同じこと。落ち込んだ底が深ければ深いほど、復活には時間がかかる。AERA 2017年7月3日号では、「どん底からの脱出」と銘打ち、見事V字回復した企業を大特集。そのとき企業は、個人は、何を考え、どう振る舞うべきなのか。

 アイデンティティーに彷徨い、襲い掛かる病に倒れ、激しいバッシングにさらされる。辛酸をなめながら、それでも歩み続けた人を支えたものは何なのか。今回は、バンクーバー五輪、ソチ五輪と、フォギュアスケートの日本代表として活躍した鈴木明子さんを紹介。

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「あれは18歳の時。今思うと、多感で何かと人と比べてしまう時期でした。同年代の浅田真央ちゃんがトリプルアクセル、安藤美姫ちゃんが4回転を跳んで、演技派の私は『自分のスタイルも認めてほしい』と葛藤しました。そのタイミングで一人暮らしが始まり、体重コントロールも必要になると、自分を締め付け過ぎてしまったんです」

 気づいた時には摂食障害を患い、体重は30キロ台に。医師からは、トップレベルの競技復帰は不可能と言われた。

「人生の先は真っ暗で、すべての気力がなく、もがきました。やせ細り、生きていくのもやっと。食べられないどん底の時期に『食べなさい』と言われると、自分を否定されることになる。でも私は自分を誰かに認めてほしかったんです」

 そんな時、母の一言に救われた。

「母だけが『スケートを諦めなくていいよ』と言ってくれたんです。後で聞いた話では、母は『医師の言うことも聞かないで無理にスケートをして命を失ったら私の責任。でもこの子の生命力を信じて賭けよう』と思っていたそうです。母が信じてくれたことで、トンネルの遥か先に光を感じ、立ち上がることができました」

 しかし練習を再開しても、すぐに身体は動かなかった。

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