「コンビニ百里の道をゆく」は、47歳のローソン社長、竹増貞信さんが、経営者のあり方やコンビニの今後について模索する日々をつづる新連載。まずは竹増さんの自己紹介代わりに、AERA編集長の井原圭子によるインタビューを3回にわたってお届けします。
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──関西のご出身ですね。
生まれも育ちも大阪で、大学までずっと自宅近くの学校に通いました。通学は自転車か徒歩。1993年に三菱商事に入社して、初めて上京しました。寮から1時間40分の電車通勤でしたが、もう満員電車に乗るだけで大仕事。息も絶え絶えの毎日でした(笑)。
──三菱商事ではどんなお仕事をされたのですか?
最初の10年は畜産関係の営業でした。91年に食肉の輸入が自由化され、三菱商事は中間流通の会社を通さず、スーパーや外食に直接販売する形に切り替えました。私はスーパーの店頭で妻のレシピの肉料理を披露したり、加工工場でパートさんと一緒に少しでも売りに出せる部分を多くする肉の切り方を考えたり。大量の豚肉を扱っていたので、商品化の歩留まりが少し上がると数億単位で利益が増えた。現場の気づきが起こすダイナミズムを経験できました。
──竹増さんの基礎をつくった10年だったんですね。
その後、米国の工場に3年、広報に5年、総務・経営企画に4年。総務・経営企画の4年間は、社長の業務秘書を務めました。普通は行けないところにも同行させていただき、経営者の決断も間近で見せていただきました。
──2014年にローソン副社長、16年に社長。6月から名実共にローソンの「顔」です。
オーナー、店長、クルーのみなさん、社員も含め約17万人の仲間と、暮らしに寄り添うお店を目指したい。商店街が失われているいま、ローソンが子どもを見守り、高齢者の助けになり、現役世代をサポートしたいと思っています。
──「座右の銘」は。
スポーツでも仕事でも、もう一息で何かを成し遂げられそうだというときに思い出す言葉があります。「百里の道をゆくものは九十九里をもって半ばとす」。中国の戦国時代の史書で、原本は「九十里」ですが、小学校の校長先生がこう教えてくれました。最後の最後まで気を引き締めろ、と全校朝礼や運動会などで繰り返し唱和しました。私の中に染みついていて、いつも助けてくれる言葉なんです。
※AERA 2017年6月12日号