宮崎滔天は右翼ではなく世界革命夢見たコスモポリタンだ。『謀叛の児 宮崎滔天の「世界革命」』の著者である加藤直樹さんが、AERAインタビューに答えた。
<彼が目指したのは、あくまで「世界革命」である。生涯にわたる中国革命のための奔走は、彼にとって世界革命の一環であった>(序章より)
宮崎滔天(1870~1922)は孫文と結び中国革命を支援した日本人で、アジア主義者として知られる。
加藤直樹さんは学生時代から現在まで、さまざまな社会運動に関わり問題提起を続けてきた。2014年に書かれた『九月、東京の路上で』(ころから)はそうした蓄積が結実したもので、関東大震災の朝鮮人虐殺をヘイトデモの跋扈する今に引きつけたルポルタージュにして卓越した思想書でもあった。その加藤さんが宮崎滔天の評伝に取り組んだ。今何故、滔天なのか?
「滔天というと一般的にはアジア主義の右翼だと語られていますが、それは違う。確かに内田良平など大陸浪人たちと手を組んだり、侵略の尖兵となりかねない場面に足を踏み込んだこともありました。だけど天皇制を一貫して批判し、国家主義の対極にあった人なので右翼とはいえない。むしろコスモポリタンなある種の左翼といえるのでは」
加藤さんは宮崎滔天が目指した革命のイメージと「射程の長い思想」を、20世紀初頭の日本・朝鮮・中国における民衆運動のダイナミズムを背景に導き出す。アジア主義や公式左翼史観でくくっては語れない、多様なせめぎ合いや連帯の可能性が見えてくる。幸徳秋水らの「進歩主義」的アジア観の限界もまた同様。そうした激動のなかで七転八倒しながら、試行錯誤する滔天が生き生きと動き出す。
「滔天の実像は、カッコ悪いしダメ人間でもあったこと。失敗の連続で、生活能力は欠落しているし、家庭では妻・槌に犠牲を強いたことを見るべきでしょう。社会変革のために奔走した長男の龍介はそんな母に同情して父を憎んだこともあったのです」
ちなみにあの柳原白蓮と駆け落ちするのが龍介。滔天も驚いて「いいのか、お前、こんなことをして……」と言うだけで息子を責めることはしなかった。そこが滔天らしい。
「僕は歴史学者でもないし素人です。ただ歴史の曲がり角にきている今だからこそ、現在生きている感覚で当時の人たちを見ることが必要ではないのか。そうすると時代や人間がこれまでと違う風貌を見せてくれるのです」
過ちや挫折を繰り返しながら理想を手放さない滔天は歴史上の人物にとどまらない「懐かしい仲間・友人」なのだと。(ライター・田沢竜次)
※AERA 2017年5月29日号